イエメンと聞いて、カートを思い浮かべる人は多いと思う。
出発前にカイロの酒屋で、これからイエメン旅行に出ると告げたとき、酒屋のおっちゃんは、「おっ、じゃあカートが試せるね!」と目を輝かせ、片頬をぷうっと膨らませて、カートを噛む真似をしてくれた。
以前読んだ、イギリス人作家Paul Tordayのイエメンをテーマにした愉快な小説「Salmon Fishing in the Yemen」の裏表紙にも、「No Qat, No party」というキャッチフレーズが入っていた。どうもイエメンとカートは切っても切れない関係らしい。
では、カートって、一体なんでしょう?
カートというのは、一見お茶の木みたいな、なんの変哲もない緑色の植物で、葉っぱが枝付きのまま束ねられ、ビニール袋に入れて売られている。カート専門のカート市場もあるが、普通のスーク(市場)や、その辺の道ばたの売人からも買える。
この生葉のエキスには、麻薬のような、緩い覚醒作用があるといわれていて、噛みつづけていると、だんだん効果が現れるらしい。意識が覚醒してハイになるということだが、逆にうっとりと気だるくなって眠たくなる、という説も聞いた。アルコール類の手に入らないイエメンにあって、男たちの日々の気晴らしのための、重要な嗜好品なのである。前述の古いロンリー・プラネット(齢14歳)によると、その昔、イエメン男たちは寄り集まって、カートを噛みながら商談を交わしたり、大事な話をしたりするのが慣わしで、地域や部族における重要な社交行為であったようだ。今ではもうその習慣はすたれ、個人で、または親しい友人たちと、娯楽として楽しむようになったと聞いた。イエメンといえども、時代の流れに沿って、社会の変容がみられるのだね。田舎のほうではまだカート・社交が行われているのかもしれないけど。
私がサナアから乗り合いバス(というか、乗り合いトラック)に乗って、タイズという街に旅をしたとき、運転手が途中で車を止め、路上のカート売りのお兄ちゃんからカートを買っていた。カートは新鮮さが命なので、吟味する目が真剣である。じっと観察する私の視線に気づくと、運転手は「This is yemen whiskey!」と言って、にやっと笑った。
私もイエメンに来たからには、ぜひこのカートを試してみなければ!という義務感(?)に駆られ、着いた翌日さっそく買いに行った。カート売りの男たちはサナア旧市街のそこら中にいて、道ばたにカートの入ったビニール袋を広げ、道行く人に声をかけている。私が物欲しそうにじろじろ見ていると、「500リアルだよ」と値段を教えてくれる。500リアルというと、現在のレートで180円くらいだが、去年はもっと円安だったような気がする。イエメンの物価水準を考えると、けっして安くはない。初めて買うモノについては、まず値段の相場を調査することにしているので、とりあえず買わずに、もう少し見まわったが、値段はどこもあまり変わらないようだった。結局最初から2人目の売人のところで購入、小さめの袋で400リアルした。値切ってみたけど、「これは上等の品だから」とまけてくれなかった。ち。
カートの売り買いは男だけの世界なので、女で、外国人で、ジーパンとTシャツ姿、と三拍子揃っている私がカートを買うのは、周囲の人々の注目の的だったが、あまり気にならなかった。中東で一人旅をしていると、じろじろ見られるのにも慣れてきて、なんとも思わなくなるものだ。
話題はそれるが、私はイエメンに来る前、「イエメンに行くんなら、ヒジャーブで髪を覆って、アバヤ(体の線をすべて隠す、ゆったりとした女性用上着)を着たほうがいいよ、そのほうが嫌な思いをしなくてすむから」と、複数の人から忠告を受けた。それについて少し考えたが、普段と違う格好をするのは、自分を偽るようでなんだか不本意だし、それにいつもと同じ格好で出歩いたらどんな目に遭うのか確かめたい!という好奇心もあったので、結局ヒジャーブもアバヤも着用しないことにした。2週間の滞在中、一度もセクハラに遭わず、せいぜいじろじろ見られるだけだったので、なんだ、やっぱり必要なかったんじゃん、心配して損した(大して心配してなかったくせに)!と自信を持ったが、同じような格好をしていてセクハラに遭った人もいるようなので(後ろからオシリを触られるとか)、単に運がよかっただけかもしれない。もともと私はセクハラに遭いにくいタイプ、のような気がするが。
サナアで、私は友人の学校の寮に滞在していた。共有スペースの台所で友人と二人で夕食をとった後、いそいそと冷蔵庫からカートの袋を取り出し、枝から1枚葉っぱをちぎって噛んでみる。……ニガイ。あおくさい。なんだか、青虫みたいな味(青虫を食べたことはないが)。顔をゆがませながら、我慢してひたすら葉っぱをちぎっては噛み、ちぎっては噛み……しかしなんの効果も感じられない。どうも沢山噛まないと効果がないらしい。噛んだ葉っぱは吐き出さず、頬の内側に溜めることになっているが、慣れていない身には、これが結構難しい。頬を膨らませた妙な顔で、ひたすらカートを噛むのである。やがて歯とあごが疲れてきたので、終わりにした。結局イイキモチにはならなかった。1日だけではだめで、2,3日続けて噛まないと効果が出ないそうなので、翌日も念のため試してみたが、やはり苦いばかりでなんの効果も感じられなかったので、あきらめて残りは捨ててしまった。もったいないことだが、しょうがない。私はやっぱり、酒のほうがいいぞ。
夜、外を出歩くと、カートで片頬を膨らましたイエメン男たちの姿が見られる。頬をぷっくり膨らませた、時代劇の男たちが闊歩する、イエメンの夜。
「そうなのよ、夜になるとこぶとり爺さんたちが現れるのよ」と友人はしたり顔でうなずく。実際彼らの頬袋は、溜め込んだカートでぽっこりと膨れていて、まるでこぶとり爺さんのようなのだ。あのこぶが大きければ大きいほど偉いらしい。毎日膨らませているせいで、頬の皮膚が伸びてしまい、中にカートを入れていないときは、たるんで皺になっている。この頬袋はイエメン男の遺伝形質に入っちゃったのかも。ラマダーン中なので、日没以降しかカートをやらないが、それ以外の時期は昼間もやっているらしい。
カートの栽培には多量の水を必要とするので、水不足に苦しむイエメンにとって、深刻な問題となっているようだ。ウィキペディアによると、なんとイエメンの農業用水の40%がカート栽培に使用されているらしい。
そしてカートの価格の高さは、農家を潤す一方で、貧しい一般家庭の家計を圧迫している。男たちは普段昼過ぎから延々とカートをやっているので、当然労働効率も落ちる。それに気づいた政府が、テレビなどで反カート・キャンペーンをはったりして、カート消費量を減らそうと努力していたようだが、あまり効果はなかったのは明らかである。そりゃそうだ。失業率が30%とか40%とかいうこの国で、しかもアルコールがないのに、他になにで気晴らしをすればいいというのか?私がイエメン男なら一日中カートを噛んでるぞ、きっと。女の人はどうやって気晴らしをしているのかしら?やっぱり普遍的な女性の気晴らしである、「おしゃべりと甘いもの」かしら?
私が今興味を持っているのは、今年1月から始まったイエメンの革命運動は、この国のカートの生産・流通・消費状況にどのような変化をもたらしたか、である。案外全然変化がなかったりして。カートを噛みながら反政府デモ、カートを噛みながら弾圧、カートを噛みながらテロ活動、そして何事も起こらなかったのごとく、カートを生産する農民たちを思い描いてうっとりする…。ああ、愛しのイエメン。
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