高齢者住宅に住んでいる父の所へは、週に一度は様子を見に行くようにしている。
今回は隣の病院で診察もあった為、事前に何度も父に電話を入れておいた。
「今日は病院だからね。あとで行くから用意しててね」
何度もしつこく電話したら、父は「わかった、わかった」と面倒くさそうに言って電話を切られた。
実は、前に同じように診察があった時、「今、そっちに向ってる」と電話をしたのだが、父はそれを忘れてしまって、のんびりお風呂に入っていたということがあった。
そのときは、結局、予約した時間に間に合わなかったのだが、これからは、そういう事態はなるべく避けたい・・・
しかも今回は病院が終わったら、妹も連れて、人生初の「ねこカフェ」に行くことになっていた。
最近は日が短くなったので、あっという間に暗くなるし、気温の下がる夕方は道路の凍結も怖いので、できるだけ早い時間に帰りたい。
そのためにも、早め早めに動こうと思っていた。
しか~し・・・
これがまた、思うように事は進まずで、まず父がゆっくりとしか動けなくなってきた。
足が弱ってきたので仕方がないのだが、歩く速度も段差を上がるのも、まるでスローモーションを見ているようだ。
特に雪が降って道が凍っている場所などは、私が父の腕を組んで転ばないようにゆっくりと歩いたのだが、身体の大きな父がもしも転びそうになったら、私は支えられるだろうかという不安があるので、よりゆっくりと慎重になる。
父娘で一緒に転ばないように、慎重に歩いて行ったため、わずか数十メートルの場所にある病院だが、かなりの時間がかかった。
さて、やっと病院に着き、名前を呼ばれるのを待つ間も、父は頻繁にトイレに行きたがる。
義父もそうだったが、歳を取ると尿の出が悪くなって、すぐにトイレに行きたくなるようだった。
そして、その度に父をトイレまで送り届けるのだが、そうこうしているうちに、診察室から名前を呼ばれてしまったので、父をトイレに迎えに行き、荷物を抱えながら、あたふたと診察室に入った。
なんとか病院が終わり、今度は父を車に乗せて妹を迎えに行かなければいけないのだが、車に乗るという動作も、歳を取ると難しくなってくる。
段差がそれほど高くない車でも、筋肉の落ちた足を上げることが難しい。
車のシートに座っても、腰をずらして奥へ入ることが難しい。
父を介護しながら、数年前に無くなった義父の姿と重なっていた。
義父は同居する前からずいぶん弱っていたと思うが、それでも最後まで自分の足で歩いていた。
やはり超スローモーション的な動きで、義父が一歩進んでいる横を、私がまるで映画の早送りのように動き回っていた。
同居し始めた頃、歳を取るとどうなるのかよく分からなかった私は、「どうしてこんなにゆっくりなのだろうか?」と思っていた。
しかし、同じなのだ。
遅かれ早かれ、歳を取るとみんなそうなっていくのだ。
そして身体の衰えもそうだが、脳も老化してくる。
昔のことは覚えていても、今のことは覚えられなくなる。
「この前話したのに、どうして分からないの?」と怒っても、それは仕方がないことなのだ。
だって忘れちゃうんだから・・・
母が亡くなる前、当時80歳を過ぎていた母の母(私の祖母)が、娘の看病をしたいと行って、わざわざ遠方から来て、私と一緒に母の病室に泊まりこんでくれた。
80歳を過ぎていた祖母は、やはり身体が若い頃のように動かないし、物忘れもひどかったが、それでもできる限りのことはやってくれていた。
ところが、父はそんな祖母に冷たかった。
母がもう助からないと分ったショックもあったのだと思うが、いつもの父ではなくなっていた。
祖母がトンチンカンな質問をしたりすると、「なんだぁ?」と言ってにらみつける。
祖母に対する一言、一言にとげがあり、その度に祖母がオドオドしているのが分かった。
「もっと、おばあちゃんに優しくしてあげたら」と言うと、「そうだな。わざわざ来てくれたんだもんな」と言っていたが、まだ若くて元気だった父は、歳をとって物忘れをしたり、動きが悪くなった祖母にイライラしていたのだろう。
母が亡くなるまで、そばで看病してくれた祖母には、「ありがとう」の言葉をかけることはなかったと思う。
でも、今の父は、そんなことも忘れちゃってるんだろうな~
夫の年老いた両親と同居して、多少なりとも介護をして、また今、実父の介護をしてよかったと思えることは、いずれ自分も行く道だとはっきり認識できたことかもしれない。
いつか自分も同じようになるのだから、老人に対しては、けっして辛く当たったり、バカにしたりしてはいけないという事なのだ。
・・・というわけで、話は変わるが、人生初の「ねこカフェ」に行ってきました。
父が無類の動物好きなので、ねこと触れ合える「ねこカフェ」に連れて行ったら喜ぶのではないかと思ったのだ。
もちろん、父は喜んでくれたが、それ以上に喜んでいたのは、私と妹だったかもしれない。
妹など「心拍数あがる~~~っ!!」と言って興奮していた。
しかし、あれですね・・・
ねこちゃんっていうのは、寝ていることが多いんですね。
犬と同じような気分で迫っていくと、するりと逃げられて、高い棚の上とかで眠ってしまう。
「前にうちで飼っていたのと同じ毛色だ」と父は言うが、ねこを飼っていたのは、私が乳児の頃でほとんど記憶がない。
なので、ねこ慣れしていない私と妹は、どうもうまく猫ちゃんとコミュニケーションが取れず、ただただ寝姿を眺めていた。
そして、どうしても我慢できず、時々肉球などを触っては猫に嫌がられていた。
今度行く時は、もっと上手に交流を深めたいと思いながら、写してきた猫の写真を見て「やっぱり可愛い~」と興奮している。
今回は隣の病院で診察もあった為、事前に何度も父に電話を入れておいた。
「今日は病院だからね。あとで行くから用意しててね」
何度もしつこく電話したら、父は「わかった、わかった」と面倒くさそうに言って電話を切られた。
実は、前に同じように診察があった時、「今、そっちに向ってる」と電話をしたのだが、父はそれを忘れてしまって、のんびりお風呂に入っていたということがあった。
そのときは、結局、予約した時間に間に合わなかったのだが、これからは、そういう事態はなるべく避けたい・・・
しかも今回は病院が終わったら、妹も連れて、人生初の「ねこカフェ」に行くことになっていた。
最近は日が短くなったので、あっという間に暗くなるし、気温の下がる夕方は道路の凍結も怖いので、できるだけ早い時間に帰りたい。
そのためにも、早め早めに動こうと思っていた。
しか~し・・・
これがまた、思うように事は進まずで、まず父がゆっくりとしか動けなくなってきた。
足が弱ってきたので仕方がないのだが、歩く速度も段差を上がるのも、まるでスローモーションを見ているようだ。
特に雪が降って道が凍っている場所などは、私が父の腕を組んで転ばないようにゆっくりと歩いたのだが、身体の大きな父がもしも転びそうになったら、私は支えられるだろうかという不安があるので、よりゆっくりと慎重になる。
父娘で一緒に転ばないように、慎重に歩いて行ったため、わずか数十メートルの場所にある病院だが、かなりの時間がかかった。
さて、やっと病院に着き、名前を呼ばれるのを待つ間も、父は頻繁にトイレに行きたがる。
義父もそうだったが、歳を取ると尿の出が悪くなって、すぐにトイレに行きたくなるようだった。
そして、その度に父をトイレまで送り届けるのだが、そうこうしているうちに、診察室から名前を呼ばれてしまったので、父をトイレに迎えに行き、荷物を抱えながら、あたふたと診察室に入った。
なんとか病院が終わり、今度は父を車に乗せて妹を迎えに行かなければいけないのだが、車に乗るという動作も、歳を取ると難しくなってくる。
段差がそれほど高くない車でも、筋肉の落ちた足を上げることが難しい。
車のシートに座っても、腰をずらして奥へ入ることが難しい。
父を介護しながら、数年前に無くなった義父の姿と重なっていた。
義父は同居する前からずいぶん弱っていたと思うが、それでも最後まで自分の足で歩いていた。
やはり超スローモーション的な動きで、義父が一歩進んでいる横を、私がまるで映画の早送りのように動き回っていた。
同居し始めた頃、歳を取るとどうなるのかよく分からなかった私は、「どうしてこんなにゆっくりなのだろうか?」と思っていた。
しかし、同じなのだ。
遅かれ早かれ、歳を取るとみんなそうなっていくのだ。
そして身体の衰えもそうだが、脳も老化してくる。
昔のことは覚えていても、今のことは覚えられなくなる。
「この前話したのに、どうして分からないの?」と怒っても、それは仕方がないことなのだ。
だって忘れちゃうんだから・・・
母が亡くなる前、当時80歳を過ぎていた母の母(私の祖母)が、娘の看病をしたいと行って、わざわざ遠方から来て、私と一緒に母の病室に泊まりこんでくれた。
80歳を過ぎていた祖母は、やはり身体が若い頃のように動かないし、物忘れもひどかったが、それでもできる限りのことはやってくれていた。
ところが、父はそんな祖母に冷たかった。
母がもう助からないと分ったショックもあったのだと思うが、いつもの父ではなくなっていた。
祖母がトンチンカンな質問をしたりすると、「なんだぁ?」と言ってにらみつける。
祖母に対する一言、一言にとげがあり、その度に祖母がオドオドしているのが分かった。
「もっと、おばあちゃんに優しくしてあげたら」と言うと、「そうだな。わざわざ来てくれたんだもんな」と言っていたが、まだ若くて元気だった父は、歳をとって物忘れをしたり、動きが悪くなった祖母にイライラしていたのだろう。
母が亡くなるまで、そばで看病してくれた祖母には、「ありがとう」の言葉をかけることはなかったと思う。
でも、今の父は、そんなことも忘れちゃってるんだろうな~
夫の年老いた両親と同居して、多少なりとも介護をして、また今、実父の介護をしてよかったと思えることは、いずれ自分も行く道だとはっきり認識できたことかもしれない。
いつか自分も同じようになるのだから、老人に対しては、けっして辛く当たったり、バカにしたりしてはいけないという事なのだ。
・・・というわけで、話は変わるが、人生初の「ねこカフェ」に行ってきました。
父が無類の動物好きなので、ねこと触れ合える「ねこカフェ」に連れて行ったら喜ぶのではないかと思ったのだ。
もちろん、父は喜んでくれたが、それ以上に喜んでいたのは、私と妹だったかもしれない。
妹など「心拍数あがる~~~っ!!」と言って興奮していた。
しかし、あれですね・・・
ねこちゃんっていうのは、寝ていることが多いんですね。
犬と同じような気分で迫っていくと、するりと逃げられて、高い棚の上とかで眠ってしまう。
「前にうちで飼っていたのと同じ毛色だ」と父は言うが、ねこを飼っていたのは、私が乳児の頃でほとんど記憶がない。
なので、ねこ慣れしていない私と妹は、どうもうまく猫ちゃんとコミュニケーションが取れず、ただただ寝姿を眺めていた。
そして、どうしても我慢できず、時々肉球などを触っては猫に嫌がられていた。
今度行く時は、もっと上手に交流を深めたいと思いながら、写してきた猫の写真を見て「やっぱり可愛い~」と興奮している。