来年のお札を頂きに神社へ行って来た。
札幌市内にある相馬神社です。
氏神様ではないのだが、私はこの神社がとても好きで、数年前からこちらの神社のお札を頂いて祀っている。
この日の道路は、降った雪が凍ってつるつるだった。
境内までは、かなり急な勾配のある坂道を登って行かなければならない。
のぼる時には、前傾姿勢になるくらい急な坂道なのだが、毎年この時期にお参りに来ると、つるつるの坂道にかなり苦戦しながら登っていくことになる。
(降りるときは、もっと怖いのだが。。。)
みなさん、参道にそって張ってあるロープをつかんで上がっていくのだが、それでも足を滑らせている方がちらほらいて、一緒に行った夫も同様に途中で足を滑らせて転びそうになっていた。
しかし、今年の私は滑らずに登る自信があった。
なぜかというと、新しく買った靴を履いていったから~
毎年、冬になると一度は転ぶか、もしくは転びそうになっても奇跡的に体勢を立て直して転ばずに済むかという、ひやひやの体験を一冬に何度か経験する。
どちらにしても非常に危険なので、絶対に滑らない靴というのが欲しかった。
たまたま作業用の道具や衣服が売っているお店に入ったところ、「滑りに強力な力を発揮する」というキャッチコピーで靴がたくさん店頭に並んでいた。
ひっくり返して靴底を見てみると、金属のピンがたくさん刺さっている。
このピンが凍った雪道に刺さり、滑らない秘訣になっているようだ。
さっそく購入して、相馬神社へ履いていったのだが、これが本当にまったく滑ら~ずですいすい登っていける。
ただ難点は、靴底のピンに落ち葉がくっついてしまうこと・・・
もう少し雪が降れば落ち葉も隠れてしまうのだろうが、今はまだすこし雪の上に落ち葉が残っていた。
神社のものは、たとえ葉っぱ一枚でも持ち帰ってはいけないそうなので、帰るときには足の裏に落ち葉がついていないか、よく確認した。
さて、今回は滑ることを気にせず、足取りも軽く参道を登っていったのだが、私の心も足取りと同様に、とても軽くうきうきしていた。
相馬神社へ来るときは、何故かとても嬉しい気持ちになる。
これは、前にも感じた気持ちと同じだな~と思ったら、青森県の一宮「岩木山神社」へ参拝に行くときと同じ気持ちだった。
建物に歴史があり、大きさも相馬神社よりずっと大きい岩木山神社。
かたやこじんまりと小さな相馬神社。
しかし、神社の大きさも古さも関係はないのだと思った。
この場所の作り出す神聖な雰囲気というか・・・空気のような目には見えない何かが大切なのだろう。
それが何なのかと問われると、やはり神様の存在なのだろうか。
ところで、相馬神社には「厳しさ」を感じる。
これは岩木山神社よりもそう思う。
また氏神様である家の近くの神社は、穏やかさは感じるが厳しさは感じない。
神社によって感じが違うのが不思議であり、おもしろいと思う。
相馬神社は、冬の参道の過酷さが、厳しさを感じさせるのだろうかと思ったが、そればかりではないように思う。
帰り際、名残惜しむかのように相馬神社を振り返って見たとき、まるで昔の父親像のように、厳しくも愛情の深さを感じた。
だから、相馬神社が好きなのかもしれない。
また来ようと思った。
おっかなびっくり転ばないようにゆっくりと降りていく夫を横目に、私はまた足取りも軽く参道をスタスタと降りて行くことができた。
さて、雪道では絶対に滑らない靴だが、なんと大変なことが分かってしまった。
スーパーなどの床では、普通の靴よりずっと滑りやすいという事が判明してしまったのだ!!
金属のピンは雪道では威力を発揮するが、フローリングなどの人口の床では、まるで氷の上を歩いている状態になる。
特に靴底が濡れている場合は最悪・・・
いつものようにスーパーに入り、鼻歌交じりでカートを押していたら、思いっきり足が滑ってしまい、思わず押していたカートにしがみついてしまうという失態をおかしてしまった。
今度から店内用の靴を持って歩こうか・・・
いやいや、そんなこと面倒でできん!
あ~ぁ、いいもの見つけたと思ったんだけどなぁ。。。ちょっとショック
札幌市内にある相馬神社です。
氏神様ではないのだが、私はこの神社がとても好きで、数年前からこちらの神社のお札を頂いて祀っている。
この日の道路は、降った雪が凍ってつるつるだった。
境内までは、かなり急な勾配のある坂道を登って行かなければならない。
のぼる時には、前傾姿勢になるくらい急な坂道なのだが、毎年この時期にお参りに来ると、つるつるの坂道にかなり苦戦しながら登っていくことになる。
(降りるときは、もっと怖いのだが。。。)
みなさん、参道にそって張ってあるロープをつかんで上がっていくのだが、それでも足を滑らせている方がちらほらいて、一緒に行った夫も同様に途中で足を滑らせて転びそうになっていた。
しかし、今年の私は滑らずに登る自信があった。
なぜかというと、新しく買った靴を履いていったから~
毎年、冬になると一度は転ぶか、もしくは転びそうになっても奇跡的に体勢を立て直して転ばずに済むかという、ひやひやの体験を一冬に何度か経験する。
どちらにしても非常に危険なので、絶対に滑らない靴というのが欲しかった。
たまたま作業用の道具や衣服が売っているお店に入ったところ、「滑りに強力な力を発揮する」というキャッチコピーで靴がたくさん店頭に並んでいた。
ひっくり返して靴底を見てみると、金属のピンがたくさん刺さっている。
このピンが凍った雪道に刺さり、滑らない秘訣になっているようだ。
さっそく購入して、相馬神社へ履いていったのだが、これが本当にまったく滑ら~ずですいすい登っていける。
ただ難点は、靴底のピンに落ち葉がくっついてしまうこと・・・
もう少し雪が降れば落ち葉も隠れてしまうのだろうが、今はまだすこし雪の上に落ち葉が残っていた。
神社のものは、たとえ葉っぱ一枚でも持ち帰ってはいけないそうなので、帰るときには足の裏に落ち葉がついていないか、よく確認した。
さて、今回は滑ることを気にせず、足取りも軽く参道を登っていったのだが、私の心も足取りと同様に、とても軽くうきうきしていた。
相馬神社へ来るときは、何故かとても嬉しい気持ちになる。
これは、前にも感じた気持ちと同じだな~と思ったら、青森県の一宮「岩木山神社」へ参拝に行くときと同じ気持ちだった。
建物に歴史があり、大きさも相馬神社よりずっと大きい岩木山神社。
かたやこじんまりと小さな相馬神社。
しかし、神社の大きさも古さも関係はないのだと思った。
この場所の作り出す神聖な雰囲気というか・・・空気のような目には見えない何かが大切なのだろう。
それが何なのかと問われると、やはり神様の存在なのだろうか。
ところで、相馬神社には「厳しさ」を感じる。
これは岩木山神社よりもそう思う。
また氏神様である家の近くの神社は、穏やかさは感じるが厳しさは感じない。
神社によって感じが違うのが不思議であり、おもしろいと思う。
相馬神社は、冬の参道の過酷さが、厳しさを感じさせるのだろうかと思ったが、そればかりではないように思う。
帰り際、名残惜しむかのように相馬神社を振り返って見たとき、まるで昔の父親像のように、厳しくも愛情の深さを感じた。
だから、相馬神社が好きなのかもしれない。
また来ようと思った。
おっかなびっくり転ばないようにゆっくりと降りていく夫を横目に、私はまた足取りも軽く参道をスタスタと降りて行くことができた。
さて、雪道では絶対に滑らない靴だが、なんと大変なことが分かってしまった。
スーパーなどの床では、普通の靴よりずっと滑りやすいという事が判明してしまったのだ!!
金属のピンは雪道では威力を発揮するが、フローリングなどの人口の床では、まるで氷の上を歩いている状態になる。
特に靴底が濡れている場合は最悪・・・
いつものようにスーパーに入り、鼻歌交じりでカートを押していたら、思いっきり足が滑ってしまい、思わず押していたカートにしがみついてしまうという失態をおかしてしまった。
今度から店内用の靴を持って歩こうか・・・
いやいや、そんなこと面倒でできん!
あ~ぁ、いいもの見つけたと思ったんだけどなぁ。。。ちょっとショック