今も世界のどこかで戦いが行われている。
一体、いつになったら戦いの無い世界になるのだろうか。
あの炎の下には、戦争など望んでいない人々がたくさんいるのだろう。
そして、たくさんの命が今も消えているのかもしれない。
戦争をしたくてたまらない者だけをどこかの孤島に集めて、気の済むまで戦わせることができればいいのにと思う。
そんなことを思いながらテレビのニュースを見ているとふつふつと怒りが湧き、次に悲しみがあふれてくる。
怒りは戦争をしたがる者たちへ、悲しみは死んでいく何の罪も無い人たちに対してと、爆弾によって傷つけられているであろう地球に対してだと思う。
「地球は生きている。地球には感情がある」
そんなことを思っていた。
ずっと前の私なら、そのようなことは全く思ってもいなかったことだ。
たぶん大自然に対する感謝を続け、神棚を祀って毎朝の参拝を欠かさずにする様になってから、自然とそのように感じるようになったのかもしれない。
今までは毎朝、朝日と窓の外に広がる森林に向かって手を合わせていたのだが、ここ数ヶ月は天と地に別の方法で感謝の想いを送っていた。
このような行為が果たして正しいのかどうかはわからない。
ただダイレクトに感謝を送りたくて、今はそのようにしている。
と言っても、特に難しいことをしているわけではなく、自分の胸の中で天や地球に対する感謝を集めたものを、それぞれに送るだけなのだが。
天へは自分の頭のてっぺんから送っているような気がするし、地球へは自分の両方の足の裏から送っているような気がする。
気がするというのは自分のイメージの世界なので、他人から見ても何をしているのだかまったく分からないだろうし、ただ眠っているようにしか見えないかもしれない。
イメージと言えば、感謝を送り続けているうちに、自分の目の中に、はっきりと送る感謝の想いがイメージとなって現れてくるようになった。
それは白い玉なのだが、その中に自分の溢れてくる感謝の想いを入れる。
最初はぼんやりとした白い玉だったが、先日はそれが初めて白く発光する玉になった。
その玉を天と地球それぞれに送り届けると、いつも安らかで暖かな気持ちになる。
大体、それはほとんど毎日行っているのだが、先日ふと思い出したことがあった。
それは自宅の神棚でお祀りもしているが、数年前に市内にある「相馬神社」を知るきっかけにもなった夢だった。→ちょっと遅い初詣
小さな社の前にいた小さな龍に私が「白い玉」を渡すという、それだけの夢なのだが、渡した後に小さな龍が「ありがとう」と言ってくれた。
その声があまりにもはっきりと、まるで耳のすぐそばで現実に言われたかのように聞こえてきたので、その声で目が覚めた。
だから、今でもありありと思い出すことができる夢だった。
その時、なぜ自分が白い玉を手にしていたのか分からなかった。
「なぜ私は白い玉を持っていたのか?あれは一体何だったのだろう」とずっと疑問に思っていた。
でも、やっと分かった。
あれは「感謝の想い」が入った玉だったのだ。
相馬神社は天之御中主大神をお祀りしていて、天之御中主大神は天地自然、万物の生成発展を主宰する神さまだとか。
ここからは私の妄想?だが、あの小さな龍は天地自然の神様だったのではないだろうか。
もしかしたら地球の神様だったのかも・・・などと考える。
小さな龍は白い玉つまり感謝の想いを、とても喜んで受け取って下さった。
だとしたら、やはり地球には感情があり人間の感謝の気持ちをとても喜ばれるのではないだろうか。
環境汚染や戦争によって傷ついて弱りきっている地球。
一人でも多くの人間が、ほんの少しでも地球に対して感謝の気持ちを持ったとしたら、きっと地球はとても喜んで元気になってくれるような気がする。
一体、いつになったら戦いの無い世界になるのだろうか。
あの炎の下には、戦争など望んでいない人々がたくさんいるのだろう。
そして、たくさんの命が今も消えているのかもしれない。
戦争をしたくてたまらない者だけをどこかの孤島に集めて、気の済むまで戦わせることができればいいのにと思う。
そんなことを思いながらテレビのニュースを見ているとふつふつと怒りが湧き、次に悲しみがあふれてくる。
怒りは戦争をしたがる者たちへ、悲しみは死んでいく何の罪も無い人たちに対してと、爆弾によって傷つけられているであろう地球に対してだと思う。
「地球は生きている。地球には感情がある」
そんなことを思っていた。
ずっと前の私なら、そのようなことは全く思ってもいなかったことだ。
たぶん大自然に対する感謝を続け、神棚を祀って毎朝の参拝を欠かさずにする様になってから、自然とそのように感じるようになったのかもしれない。
今までは毎朝、朝日と窓の外に広がる森林に向かって手を合わせていたのだが、ここ数ヶ月は天と地に別の方法で感謝の想いを送っていた。
このような行為が果たして正しいのかどうかはわからない。
ただダイレクトに感謝を送りたくて、今はそのようにしている。
と言っても、特に難しいことをしているわけではなく、自分の胸の中で天や地球に対する感謝を集めたものを、それぞれに送るだけなのだが。
天へは自分の頭のてっぺんから送っているような気がするし、地球へは自分の両方の足の裏から送っているような気がする。
気がするというのは自分のイメージの世界なので、他人から見ても何をしているのだかまったく分からないだろうし、ただ眠っているようにしか見えないかもしれない。
イメージと言えば、感謝を送り続けているうちに、自分の目の中に、はっきりと送る感謝の想いがイメージとなって現れてくるようになった。
それは白い玉なのだが、その中に自分の溢れてくる感謝の想いを入れる。
最初はぼんやりとした白い玉だったが、先日はそれが初めて白く発光する玉になった。
その玉を天と地球それぞれに送り届けると、いつも安らかで暖かな気持ちになる。
大体、それはほとんど毎日行っているのだが、先日ふと思い出したことがあった。
それは自宅の神棚でお祀りもしているが、数年前に市内にある「相馬神社」を知るきっかけにもなった夢だった。→ちょっと遅い初詣
小さな社の前にいた小さな龍に私が「白い玉」を渡すという、それだけの夢なのだが、渡した後に小さな龍が「ありがとう」と言ってくれた。
その声があまりにもはっきりと、まるで耳のすぐそばで現実に言われたかのように聞こえてきたので、その声で目が覚めた。
だから、今でもありありと思い出すことができる夢だった。
その時、なぜ自分が白い玉を手にしていたのか分からなかった。
「なぜ私は白い玉を持っていたのか?あれは一体何だったのだろう」とずっと疑問に思っていた。
でも、やっと分かった。
あれは「感謝の想い」が入った玉だったのだ。
相馬神社は天之御中主大神をお祀りしていて、天之御中主大神は天地自然、万物の生成発展を主宰する神さまだとか。
ここからは私の妄想?だが、あの小さな龍は天地自然の神様だったのではないだろうか。
もしかしたら地球の神様だったのかも・・・などと考える。
小さな龍は白い玉つまり感謝の想いを、とても喜んで受け取って下さった。
だとしたら、やはり地球には感情があり人間の感謝の気持ちをとても喜ばれるのではないだろうか。
環境汚染や戦争によって傷ついて弱りきっている地球。
一人でも多くの人間が、ほんの少しでも地球に対して感謝の気持ちを持ったとしたら、きっと地球はとても喜んで元気になってくれるような気がする。