「ズボンのベルトって燃えないゴミ?」
青森県で学生生活を送る長男パインから、最近、頻繁にこのような電話がかかってくる。
今パインは引っ越し準備に追われている。
あと少しで大学を卒業し、6年間暮らした青森からこちらへ戻ってくることになっているのだ。
「ベルトは金属がついているから燃えないゴミ!」
地方によってゴミの分別の仕方は違うのかもしれないが、こっちがそうなので青森もそうだろうと予想して答える。
大きな家具や電化製品は「欲しい」という後輩たちにあげることになっているのだが、こまごまとした物の片づけが大変らしい。
できることならば行って手伝ってやりたいのだが、ちょうど今、もうひとり遠方の大学に通う次女ピーチが帰省している。
「お兄ちゃんのとこへ行って来ていい?」とピーチに聞いたら「え~お母さんいないの?」と悲しそうな声を出したので行くのをやめた。
ピーチは一週間ちょっとしか家にいられないというので、一週間であっても家で作ったごはんを食べさせてあげたい。
パインは一応この先ずっと家にいることになっているので、パインには大変だが、なんとか一人で頑張るように伝えた。
段ボール箱に詰めさえすれば、あとは引っ越し業者さんが運んでくれる。
大丈夫、できるだろう。
それにしても引っ越しの手伝いも行ってやりたかったが、本当は個人的にもう一度、青森に行ってみたかった。
パインが入学したのは2011年の春。
初めて見た弘前公園の桜は息をのむほど美しかった。
本物の枝垂れ桜を見たのも初めてで、なんて上品で美しいのだろうと思った。
また、桜の花びらでピンク色に染まった弘前城の外堀もまた見惚れるほどきれいだった。
ところで、パインの大学入学はいろいろな意味で忘れられない年になった。
2011年3月、合格が決まって行った青森で、夫とパインが大学内で入学の手続きをしている最中に、あの東日本大震災が起こった。
それにしてもずいぶん危機管理がしっかりしていると思ったのは、尋常ではない揺れ方にすぐに大学から一人につき3個のおにぎりの配給があったそうだ。
その後、青森自体の被害は無かったものの、電気水道が止まり、あっという間にコンビニやスーパーから食べ物が消えたそうで、大学からおにぎりをもらって本当に助かったと夫は言っていた。
大地震の混乱はそれからもずっと続き、電気が止まり携帯電話も電池が切れてしまった後は情報が入らず、夫によるとどこで何が起こっているのか全く分からなかったそうだ。
だから長い行列に並んでやっとかけてきた公衆電話で、私と話すことが唯一の情報だったようだ。
夫とパインは鉄道も飛行機も動いていなかった為、しばらく足止めされて、けっきょく予定より数日遅れで帰ってきた。
そして弘前城の桜は、そんな混乱も落ち着いて平常に戻った4月末に見に行った。
あの時は誰もがそうだったが、あのような信じられない大惨事を目の当たりにして心は重く沈んでいた。
桜が美しければ美しいほど、悲しみが胸にあふれてくるような気がした。
パインは卒業して青森を離れることになるが、今度は観光で行きたいねと夫と話している。
また桜の花を見に行きたい。
息子がお世話になりました。ありがとう青森。
青森県で学生生活を送る長男パインから、最近、頻繁にこのような電話がかかってくる。
今パインは引っ越し準備に追われている。
あと少しで大学を卒業し、6年間暮らした青森からこちらへ戻ってくることになっているのだ。
「ベルトは金属がついているから燃えないゴミ!」
地方によってゴミの分別の仕方は違うのかもしれないが、こっちがそうなので青森もそうだろうと予想して答える。
大きな家具や電化製品は「欲しい」という後輩たちにあげることになっているのだが、こまごまとした物の片づけが大変らしい。
できることならば行って手伝ってやりたいのだが、ちょうど今、もうひとり遠方の大学に通う次女ピーチが帰省している。
「お兄ちゃんのとこへ行って来ていい?」とピーチに聞いたら「え~お母さんいないの?」と悲しそうな声を出したので行くのをやめた。
ピーチは一週間ちょっとしか家にいられないというので、一週間であっても家で作ったごはんを食べさせてあげたい。
パインは一応この先ずっと家にいることになっているので、パインには大変だが、なんとか一人で頑張るように伝えた。
段ボール箱に詰めさえすれば、あとは引っ越し業者さんが運んでくれる。
大丈夫、できるだろう。
それにしても引っ越しの手伝いも行ってやりたかったが、本当は個人的にもう一度、青森に行ってみたかった。
パインが入学したのは2011年の春。
初めて見た弘前公園の桜は息をのむほど美しかった。
本物の枝垂れ桜を見たのも初めてで、なんて上品で美しいのだろうと思った。
また、桜の花びらでピンク色に染まった弘前城の外堀もまた見惚れるほどきれいだった。
ところで、パインの大学入学はいろいろな意味で忘れられない年になった。
2011年3月、合格が決まって行った青森で、夫とパインが大学内で入学の手続きをしている最中に、あの東日本大震災が起こった。
それにしてもずいぶん危機管理がしっかりしていると思ったのは、尋常ではない揺れ方にすぐに大学から一人につき3個のおにぎりの配給があったそうだ。
その後、青森自体の被害は無かったものの、電気水道が止まり、あっという間にコンビニやスーパーから食べ物が消えたそうで、大学からおにぎりをもらって本当に助かったと夫は言っていた。
大地震の混乱はそれからもずっと続き、電気が止まり携帯電話も電池が切れてしまった後は情報が入らず、夫によるとどこで何が起こっているのか全く分からなかったそうだ。
だから長い行列に並んでやっとかけてきた公衆電話で、私と話すことが唯一の情報だったようだ。
夫とパインは鉄道も飛行機も動いていなかった為、しばらく足止めされて、けっきょく予定より数日遅れで帰ってきた。
そして弘前城の桜は、そんな混乱も落ち着いて平常に戻った4月末に見に行った。
あの時は誰もがそうだったが、あのような信じられない大惨事を目の当たりにして心は重く沈んでいた。
桜が美しければ美しいほど、悲しみが胸にあふれてくるような気がした。
パインは卒業して青森を離れることになるが、今度は観光で行きたいねと夫と話している。
また桜の花を見に行きたい。
息子がお世話になりました。ありがとう青森。