ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

変化

2017-03-29 18:29:24 | 日記
夫は生まれてこのかた「不思議な体験」をしたことは皆無だそうで、ずっと「科学的根拠のない事は一切信じられない」と言っていた人だったが、ここ十年くらいの間に徐々に変わってきた。
今では「科学で分かっていることなど、きっとほんの少しなんだろうなぁ。世の中には人知を超えた、まだわかっていないことがたくさんあるのだろう」なんてことを言うようになった。

ここに至るまでの十年ちかくの間、いくつかの夫に起こった不思議な出来事が、夫の「科学的根拠のないものは信じない」という考え方を変えて行ったのだと思う。
そういう意味では、自分のことを棚に上げて生意気にも言わせてもらうなら、夫は人間としての幅がずいぶん広がってきたと思う。

ところで、先日、夫がやけに真剣な顔をして「もう家には浮遊霊みたいなものはいないんだろう?」と聞くので「どうしてそんなことを聞くの?」と言ったら、夜中にトイレに起きた時、トイレを出た所でまた左の耳のそばで声が聴こえたのだとか。

また・・・というのは、昨年にもはっきりとした女性の声が左の耳に聴こえて驚いたと夫が話していたからで、その時はしばらくその場所を供養をした。→「寒気」

そして、その時にいらした女性はもう居なくなったと思うのだが、夫曰く「今度は男の声がした。耳元で何かを話すのだが内容はよく分からなかった。でも、とにかくぞ~っとして全身に鳥肌が立った」と言うのだ。

その話を聞いて、私は夫が声を聞いたという場所に心当たりがあった。

そこで、夫と一緒に声を聞いたという場所へ行って、「もしかしたらこの辺じゃない?」とある所を指さしたら「そうそう!まさにそこだよ」という返事が返ってきた。

そこはお姑さんの部屋から出た廊下であり、廊下の右横にはトイレがある。
夫は夜中にこの廊下に面したトイレから出た時に、妙な声を聞いたらしい。

実はそこは私も気になっていた場所で、お姑さんの部屋から続く道、霊が通る道になっているような気がしていた。
だからしばらく前からその場所を供養をしていたのだが、まだ供養が届いていない霊がその場にいたのかもしれない。

実は先祖供養は毎日欠かさずに行うのだが、未成仏霊や同じく未浄化の自然霊に対する供養はなかなか毎日と言うわけにはいかない。
というのは、そういった供養をするのは往々にしてお姑さんの目に触れる場所でしなければならず、お姑さんがいる時は供養をすることがためらわれるからで、供養ができるのはお姑さんがデイサービスに行っている日に限られる。

それを言うと、もうすっかり霊の存在を信じている夫は「ばあちゃんのいる時でも気にせずにやってくれ」と言うのだが、お線香を焚いてお経をあげるのはお仏壇の前で・・・と思い込んでいるお姑さんの前ではなかなかやるのは難しい。

というわけで、毎日と言うわけにはいかないが、まだ供養されていらっしゃらない自然霊や未成仏霊に対して供養をしているのだが、夫から「声を聞いて鳥肌がたった」という話を聞いた時、実はすこし嬉しかった。
嬉しかったというのは誤解を生むかもしれないが、誤解を恐れずに書くならば、それは私の供養が届いているということで、その場所で待っていてくれる人がいるのだということなのだと思った。

夫のように鳥肌が立つほどの怖さはまったく無い。
むしろあるのは「早く天国への階段を昇ってほしい」という気持ちだけ。

この供養を始めた頃は、気持ち的にはなかなか先祖供養のようにはいかず、お線香をあげるとそそくさと逃げるようにその場を離れていたのだが、今の私は先祖供養の時のように喜んで供養させて頂いている。

ただ、すぐにその場を離れるのは同じだが、それは怖いからではなく、いつもの習慣でついいつも言っている感謝の言葉などをつぶやいてしまいそうになるから。
先祖供養で言う言葉はこの場合は要らないそうなので、言いたくてムズムズする口を押えながらすぐに離れることにしている。

それにしても「この世は霊の海」とのことだが、まったくその通りなのだなぁと思う。

見えていないから、いないものだと思って暮らしているだけで、本当は周りは霊だらけなのかもしれない・・・

なーんて、こんなことを娘たちに話したら怖がるので絶対に言えませんが、いつか娘たちも自分を存在させてくれたご先祖様や、供養が届かずに苦しんでいる人がいたらお線香をあげて供養してくれるような大人になってほしいと思う。

しか~し、まずは夫かな。

夫も時々仏壇でお線香をあげて手を合わせているようだが、宗派の関係でお線香を折ったり(うちは浄土真宗)、せっかくお線香をあげても依り代になる位牌が小さいものであったりして効率の悪い供養の仕方でもったいないなぁと思っている。
とはいえ、これは個人の自由であり、家族であっても強要することはできない。

夫がこの十年近い間で、このようなことに対して毛嫌いせず理解を示すように変わってきたことだけでも嬉しいことだと思う。








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