ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

膨張と縮小

2017-03-16 13:31:39 | 日記
毎日なんだか忙しかった。
自分の仕事に父の見舞い、パインの引っ越し荷物の整理、そしてパインとピーチがいたので普段より家事もやることが多かった。

しかし冷静に考えてみれば、私が「あれもしなきゃ、これもしなきゃ」と先のことをばかり考えながら日常生活を送っていたので、気持ちだけが忙しくなってしまっていただけで、本当はコツコツと目の前のことをやっていけば、すべては順調に流れていったのだろう。

未来のことを考えすぎて二倍忙しくしていたと思う・・・

こんなバタバタの日々を送っていたのだが、あっという間に過ぎる一日の中で、いつも必ずゆったりとした気持ちになれる時間がある。

それは神棚に手を合わせ、大自然に感謝し、先祖供養、そして床供養をする時間であり、どんなに忙しい気持ちが続いていても、この時間だけは気持ちが落ち着く。

特に大自然への感謝は、元々は大自然を癒したいという想いから始めたのだが、気がつけば自分が癒されている。

まず天と地の大自然に感謝し、植物も鉱物も生物もすべて存在が生かされている事に対して感謝の言葉を思い浮かべる。

すると天と地から身体の中に光が流れてきて、それが胸の中心でぶつかって身体中に広がる。
私の呼吸に合わせて、光が入ってきたり出て行ったり、胸を中心にして体の中に大きく広がったり、足裏や頭のてっぺんから流れて行ったりする。

膨張と縮小。

宇宙も、そしてこの世の現象も(もしかしてあの世も?)こうして膨張と縮小というリズムを繰り返しているのだろうか。

胸の中心で広がる光はたとえお天気が曇りであっても、瞼の裏には徐々にその光が強くなっていくのが見える。

この時にずっと「どうしようかな」と思っていたような問題の答えが浮かぶことがよくある。

それはまさしく「そうだったのか」と思える答えであり、実際にそうしてみるとうまくいく。

またずいぶん治ってきたが、しばらく五十肩で痛みがあったので、その光を肩に何度か流してみたこともあった。

光を流した右の肩が一瞬ガクンと動く。
気持ちの問題なのか(きっとそうだが)ずいぶんと良くなったような気がした。

そして、五十肩の私などよりももっと大変な痛みを抱えている方がたくさんいらっしゃることを思い、どうか癒されますようにと願う。

最後に胸の中心で膨張する光を玉のイメージにして、その光に最高の感謝をこめて足裏から地球へ流し、頭上から天空へ送る。

この一連の行動は長くて5分、ふだんは2~3分というところだろうか。
いわゆる瞑想というような長いものではないが、終了した後は自分の気持ちがとても安らいでいるのがはっきりと分かる。

ところで今朝は珍しいものをみた。

頭上から送った光の玉が金色の龍に変化し螺旋を描きながら、まっすぐに空に昇っていく姿を幻視した。

これに何の意味があるのかさっぱり分からないし、もしかしたら妄想の産物かもしれないが、龍をみるのはなかなかないことなので良い体験だった。

というわけで、このようなことは絶対に面と向かって人さまには言えないことだが、妹にはたまに供養で起こったことなどを話してしまうことがある。

その時に妹から「おねえちゃんは、この世界と見えない世界の両方に生きているんだね」と言われたことがあって、その言葉を聞いて「そうか、ひとは普通は見えない世界にほとんど関心を払わずに生きているのか」と、ちょっと新鮮な驚きをおぼえたことがある。

もちろん私だって四六時中、見えない世界に関心を払っているわけではなく、毎日の感謝の祈りと先祖供養だけが唯一見えない世界と言われる部分を意識するだけなのだが、毎日のこの行事の継続が、地球に意識があって、植物や動物はもちろんのこと鉱物にも意識があり、天候さえも意識があると信じ、それを考えるとすべてのことに対して感謝したくてたまらなくなる今の私を作ったのだと思っている。

そして、毎日の感謝と供養の祈りは私にとって、今やなくてはならないものになっている。

それを妹の言葉を借りるなら、やはり私は「見えない世界にも生きている」ということになるのかもしれない。







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