ずっと行きたいと思っていながら、なかなか行くことができなかった相馬神社へやっと昨日参拝へ行くことができた。
たまたま夫が相馬神社の近くまで用事ができたので、連れて行ってもらうことにしたのだ。
午前7時と休日にしては早い時間だったが、早朝の神社は凛とした冷たい空気が澄み渡っていた。
入口の鳥居前で一礼してから、急な上り坂の参道を登って行くと、突然花の香りがした。
参道に花は咲いていないので、どこからか風に運ばれてきたのかもしれない。
「いい匂い・・・」
花の香りを胸いっぱい吸い込んで、急こう配になっている参道を一歩一歩ゆっくりと登って行くと、ご神木のクリの木が見えてきた。
「やっと来た!」
ご神木が見えると、いつもそう思う。
相馬神社のご神木は、いつ見ても動き出しそうな気がする。
長女チェリーは「ディズニー映画に出てくるみたい。顔があって動く木ね」と言うが、まさにそんな感じがする。

ご神木の前でご挨拶をして進むと、二つ目の鳥居があり、こちらの前でも一礼して鳥居をくぐり、手水舎で手と口をすすぐと本殿の前に進み出て手を合わせる。
どんなにここへ来たかったことか。
最近、歳のせいなのか、「どこへ行きたい」とか「何をしたい」とか「何を食べたい」とか、とにかくそういった欲求がほとんどない。
若い頃は「どこへ行きたい?」と聞かれたら、すぐに5~6か所くらい出てきたはずなんだけど、今はそれがほとんどない。
「一つくらいあるでしょ?行きたい場所、やりたいこと」と自分自身に聞いてみたら、やはり行きたい所は「相馬神社」だった。
なぜこんなに相馬神社に惹かれるのか、自分でもわからないのだが、自宅近くのきれいに整えられた氏神様よりも、あまり大きな声では言えないが、実は伊勢神宮よりも、相馬神社の方へ行きたい。
そして、それほど来たかったはずの相馬神社だが、滞在時間はいつもせいぜい5分弱くらいだろうか。
手を合わせて生かされていることに感謝するだけなので、ほとんど時間はかからない。
今回はそれにプラスして神様のお幸せを祈ってきたが、それでも時間はかからなかった。
熱望していたわりに、ずいぶんあっさりとした参拝だが、私はこれで大満足だった。
ところで、学生時代はよく旅をした。
宿代を節約するために夜行列車に乗って、北陸地方を一週間以上かけてバスと徒歩の旅をしたことがある。
この旅行の為に貯めたわずかなバイト代を持っての貧乏旅行だったが、人生の中で1,2位を争うくらい楽しかった思い出として残っている。
あの頃はもっともっと行きたい場所がたくさんあったし、やりたいこともたくさんあった。(もちろん食べたいものもたくさんあったはず・・・)
今は外に向かって何かやりたい、行きたいということが少なくなった。
自分の身近なところだけで満足していると思う。
例えば空がきれいだなぁとか、洗濯物がよく乾いてうれしいなぁとか、近場の温泉に行って気持ちよかったなぁとか。
これを以前、ある方に「それは自己中心的な考えだ。自分とその周りだけが良ければそれでいいのか?世界はどうなってもいいのか?」と言われた。
その時は「それの何が悪い?」と反発したが、やはり今も、その時の自分とは少し違うものの、やはりこれでいいのだと思っている。
だれもが世界が平和であることを望んでいるし、悲惨な事件がすこしでも無くなることを願っている。
じゃあ、どうすればいいのか?プラカードでも持ってデモに参加する?
私はそうは思わない。
まずすることは、自分が穏やかな気持ちでいられるようにすることなのではないだろうかと思う。
自分の周りを平和で穏やかにできなければ、世界なんて平和にできるわけがない。
つい、えらそ~なことを書いてしまって反省だが、今は熟成期間?と考えて、身近な幸せを楽しみつつ、いきたい場所、やりたいことなどをじっくり考えておきましょうか。
あ、でも、日本中を旅することはしたいなぁ。伊勢神宮はやっぱり行きたいし・・・
そうそう!スズメのコロンちゃんが外の世界へ飛び立ちました。
あまりに羽ばたいて頭を水槽にぶつけるのでかわいそうになって放すことにした。
コロンちゃんは水槽を出た後、すぐに飛ぶことはせず、しばらく周囲をぴょんぴょん歩き回っていたのだけど、そのうちに姿が見えなくなったので飛んで行ったのだと思う。
コロンちゃんがいなくなった翌日、庭に一羽のスズメが来た。その後も2~3日続けて来た。
コロンちゃんの残った餌を食べていた。

ホホの黒い点の形、背中の模様、エビフライのような尾羽がコロンちゃんそっくりで、まさか、まさかコロンちゃんのわけはないと思うが、なんだかとても嬉しかった。
コロンちゃん、元気でいてくれるといいなぁ。
たまたま夫が相馬神社の近くまで用事ができたので、連れて行ってもらうことにしたのだ。
午前7時と休日にしては早い時間だったが、早朝の神社は凛とした冷たい空気が澄み渡っていた。
入口の鳥居前で一礼してから、急な上り坂の参道を登って行くと、突然花の香りがした。
参道に花は咲いていないので、どこからか風に運ばれてきたのかもしれない。
「いい匂い・・・」
花の香りを胸いっぱい吸い込んで、急こう配になっている参道を一歩一歩ゆっくりと登って行くと、ご神木のクリの木が見えてきた。
「やっと来た!」
ご神木が見えると、いつもそう思う。
相馬神社のご神木は、いつ見ても動き出しそうな気がする。
長女チェリーは「ディズニー映画に出てくるみたい。顔があって動く木ね」と言うが、まさにそんな感じがする。

ご神木の前でご挨拶をして進むと、二つ目の鳥居があり、こちらの前でも一礼して鳥居をくぐり、手水舎で手と口をすすぐと本殿の前に進み出て手を合わせる。
どんなにここへ来たかったことか。
最近、歳のせいなのか、「どこへ行きたい」とか「何をしたい」とか「何を食べたい」とか、とにかくそういった欲求がほとんどない。
若い頃は「どこへ行きたい?」と聞かれたら、すぐに5~6か所くらい出てきたはずなんだけど、今はそれがほとんどない。
「一つくらいあるでしょ?行きたい場所、やりたいこと」と自分自身に聞いてみたら、やはり行きたい所は「相馬神社」だった。
なぜこんなに相馬神社に惹かれるのか、自分でもわからないのだが、自宅近くのきれいに整えられた氏神様よりも、あまり大きな声では言えないが、実は伊勢神宮よりも、相馬神社の方へ行きたい。
そして、それほど来たかったはずの相馬神社だが、滞在時間はいつもせいぜい5分弱くらいだろうか。
手を合わせて生かされていることに感謝するだけなので、ほとんど時間はかからない。
今回はそれにプラスして神様のお幸せを祈ってきたが、それでも時間はかからなかった。
熱望していたわりに、ずいぶんあっさりとした参拝だが、私はこれで大満足だった。
ところで、学生時代はよく旅をした。
宿代を節約するために夜行列車に乗って、北陸地方を一週間以上かけてバスと徒歩の旅をしたことがある。
この旅行の為に貯めたわずかなバイト代を持っての貧乏旅行だったが、人生の中で1,2位を争うくらい楽しかった思い出として残っている。
あの頃はもっともっと行きたい場所がたくさんあったし、やりたいこともたくさんあった。(もちろん食べたいものもたくさんあったはず・・・)
今は外に向かって何かやりたい、行きたいということが少なくなった。
自分の身近なところだけで満足していると思う。
例えば空がきれいだなぁとか、洗濯物がよく乾いてうれしいなぁとか、近場の温泉に行って気持ちよかったなぁとか。
これを以前、ある方に「それは自己中心的な考えだ。自分とその周りだけが良ければそれでいいのか?世界はどうなってもいいのか?」と言われた。
その時は「それの何が悪い?」と反発したが、やはり今も、その時の自分とは少し違うものの、やはりこれでいいのだと思っている。
だれもが世界が平和であることを望んでいるし、悲惨な事件がすこしでも無くなることを願っている。
じゃあ、どうすればいいのか?プラカードでも持ってデモに参加する?
私はそうは思わない。
まずすることは、自分が穏やかな気持ちでいられるようにすることなのではないだろうかと思う。
自分の周りを平和で穏やかにできなければ、世界なんて平和にできるわけがない。
つい、えらそ~なことを書いてしまって反省だが、今は熟成期間?と考えて、身近な幸せを楽しみつつ、いきたい場所、やりたいことなどをじっくり考えておきましょうか。
あ、でも、日本中を旅することはしたいなぁ。伊勢神宮はやっぱり行きたいし・・・
そうそう!スズメのコロンちゃんが外の世界へ飛び立ちました。
あまりに羽ばたいて頭を水槽にぶつけるのでかわいそうになって放すことにした。
コロンちゃんは水槽を出た後、すぐに飛ぶことはせず、しばらく周囲をぴょんぴょん歩き回っていたのだけど、そのうちに姿が見えなくなったので飛んで行ったのだと思う。
コロンちゃんがいなくなった翌日、庭に一羽のスズメが来た。その後も2~3日続けて来た。
コロンちゃんの残った餌を食べていた。

ホホの黒い点の形、背中の模様、エビフライのような尾羽がコロンちゃんそっくりで、まさか、まさかコロンちゃんのわけはないと思うが、なんだかとても嬉しかった。
コロンちゃん、元気でいてくれるといいなぁ。