長い人生の中で危機に陥りそうになった時、まるで救世主のように現れて救ってもらったという経験が何度かある。
その中でも命に関わってもおかしくはなかった思い出が二つあって、一つは幼稚園の頃だった。
幼稚園で帰りの時間になるまで、幼稚園かばんを肩から斜めがけしたまますべり台で遊んでいた時のこと。
自分のすべる番になって勢いよく滑り降りたら、いきなり首にひもがからんで途中で止まってしまった。
首にからんだのは、斜めがけした幼稚園かばんの肩ひもで、降りようとした時にすべり台の頂上の柵に引っかかったらしい。
それを知らずに滑り降りたものだから、すべり台の上で首つり状態になってしまった。
自分で外そうにも身体の重みで外せない。苦しくて苦しくて、ただもがいているだけだった。(実はこの時の苦しさが忘れられないので、首つり自殺だけは絶対に嫌だと思っている)
苦しくてもがいていたら、急に楽になって身体ごと下へ滑り降りることができた。
あ~助かったと上を見上げたら、一人の男の子がこちらを見ていた。
その男の子が、かばんのひもを外してくれたのだとわかったが、お礼を言うことなく泣きながら先生の所に行ってしまったことが今でも悔やまれる。
首には、赤くひもの跡が残りしばらく消えなかったので、相当な力がかかっていたと思う。
もしもその男の子が外してくれなければ、今頃生きていなかったかもしれない。
5歳の頃に助けてくれたあの男の子の顔は、今でもはっきりと憶えているし、ずっと感謝している。
そして、もう一つは数年前のこと。
落葉キノコがあると言うので、ご近所の方に誘われて山へ入ったことがある。
私はキノコのことはまったくわからないが、ご近所の方が多少知っているというのでついて行った。
落葉キノコの他にも食べられる(かも?)というキノコを数種類採って、山道を帰ろうとしたら一人の高齢の男性とすれ違った。
その方が、私たちの持っていた袋を見て「何を採ってきたのか」と聞いたので「落葉キノコです」と答えたら、「ちょっと見せてごらん」とおっしゃった。
さっそく採ったばかりのキノコを道に広げて見せると、「あぁ、これは毒キノコで食べられない」と言いながら食べられないキノコを選り分けてくれた。
なんと採ったキノコの半分が食べられない毒キノコだった。
偶然にも帰り道でキノコに詳しい男性に出会わなければ、(キノコを食べた)家族そろって「毒キノコによる食中毒」と、ニュースになっていたかもしれない。
偶然とはいえ、本当に出会ってよかった。
考えてみれば、これ以外にも家族や友人、また名前も知らない多くの人たちのお陰で今まで生かされてきた。
普段はすっかり忘れていて、自分の力でここまで生きてきたようなつもりでいるけど、実は違ったんだ・・・ということを、数か月に一度か二度くらいしみじみと思う。
それが今回。
今朝、癌の闘病をしている友人に会って「生きていることのありがたさや素晴らしさ。何気ない毎日が、どんなに尊いことだったのか」ということを聞いたからかもしれない。
大きな病になった方の言葉は重みがある。
今日は生かされていることに感謝して過ごしていた。