ちょっと息抜きにドライブをしてきた。
途中で一面黄色に染まった畑を発見した。
車を停めてよく見たら菜の花だった。
周囲には他にも菜の花畑があって、とにかく美しいの一言に尽きた。
歩いている人は誰もおらず、車もたまにしか通らない。この美しい景色を独り占めするにはもったいないくらいだった。
またこの辺りは水田も多いのだが、まだ苗を植えていない水田がほとんどで、水がはられた田んぼが静かに田植えの時を待っていた。
秋には、この場所でとれたおいしい米がお店に並ぶのだろう。
ほかほかのご飯を想像しただけでヨダレがでる。
ところで近くの道路案内の標識に「岐阜」と書かれているのを発見した。
正確には「栗沢町岐阜」という町名だったが、このことからわかるのは、この辺りは岐阜県から来た開拓者が住んだ場所だということで、このように道内には本州の県の名をつけた町が多い。
例えば山口県の山口がついた町、熊本、鳥取、広島がついた町など。
奈良県の十津川村からの開拓者たちが入った場所は、新十津川という町になっており、二つの町は今でも災害の時は助け合うなど交流が続いているそうだ。
開拓者たちは、もう二度と帰ることは無いかもしれない故郷を想い、新しい土地に故郷の地名をつけたのだろう。切ないなあ、、、
北海道はもともと先住民のアイヌの人々が住んでいたとはいえ、そのほとんどが原生林であり、厳しい寒さの中で開拓するというのは想像を絶するほどの大変さだったと思う。
よく北海道の女性は強い?と言われるらしいが、開拓当時は女性も男性と同じ力仕事をしなければいけなかったので、強くなったのは、その名残りだとも聞く。
ところで北海道の女である私も、以前庭の植木が大きくなり過ぎたので、ひとりで根を掘り起こして抜いた事がある。
最初は簡単に抜けるだろうと思っていたが、これがとんでもなく大変で、根が地面の下で大きく張っていて中々抜けず、数日にわけて地道に掘り起こしてやっとのことで抜いた。
その時はスコップとノコギリと枝打ち鋏を駆使したが、手のひらに豆はできるし、さほど大きくない木を一本でも抜くのは本当に大変だと思った。
(あとで調べたら、自分で抜くのは危険なため業者さんに頼むことが多いとか)
でも開拓者たちは、もっと大きな木を何本も何本も抜いて、根を掘り起こして農地を作ったのだ。
馬を持っていればまだマシだが、それも無い人たちは手作業で開拓していったと思うと、よくぞがんばりましたね、、、と深く頭が下がる想いがする。
この美しい菜の花畑も、おいしいお米が採れる水田も、みんなご先祖たちが苦労して開拓したのだと思ったら、ありがたくてありがたくてたまらない気持ちになった。