来ないなぁ、、、と思いながら今日も庭を見ている。
何を待っているのかと言えば、一匹の蝶を待っている。
ところで蝶の数え方は、正式には動物と同じように頭(とう)を使うのだとか。
だから上の文章は、正しくは「一頭の蝶を待っている」となる。
でも日常では、あまり蝶のことを○頭とは言わないので、あえて匹を使ってみた。「頭」を使うようになったのは、諸説あるようなので、ご興味のある方は調べてみてください。。。
というわけで話の続き。
夏の間ほぼ毎日のように、子どもの手のひらくらいの大きな黒い蝶が、庭の花の蜜を吸うために来ていた。
何という種類の蝶かと調べたら、カラスアゲハだった。
黒い羽根にブルーの模様が美しい。
子どもの頃の私なら、間違いなく虫取り網を持って追いかけていたはずだが、大人になった今は、花の間をひらひらと舞う蝶の姿を見ているだけで満足で、蝶が来るのを楽しみにしている。
そして今日も元気で飛んでいるな、明日も元気でいてほしいなと思う。
それは今まで持っていた蝶々に対する感情とは、明らかに違う。
花から花へ飛び回る姿を見て可愛いと感じるし、姿を見せないとどうしたのだろうと心配になる。
それはまるで大好きな鳥(←趣味が野鳥観察)を、観ている時と同じ感情だった。
実は小学生くらいまでは、蝶を素手で掴むのはまったく平気だったのだが、ある時から虫全般が苦手になった。(とはいえ、虫を怖がる普通の女性よりは大丈夫だと思うが、、、)
特に蝶や蛾は、ひらひらと風まかせで飛ぶのでどこに来るのか分からず、下手するとこちらに向かって来そうな感じが嫌だった。
しかし決定的に蝶が嫌だと思ったのは、素手で羽根を掴んだ時に生暖かい感触があって、それが妙に生々しくて、以来蝶々が苦手になった。
それが今は庭に来るカラスアゲハを、まるで大好きな鳥を見るかのように見ている自分に少し驚いている。
以前、寒さが増してきた秋の日に、庭の鉢植えの葉にしがみついて寒さを耐えているバッタを見て、かわいそうにと思った事があったが、その当時は虫はあくまでも虫であり、鳥や犬や猫などの動物に対する感情と同じものは持っていなかった。
しかし、それが今少しづつ変化してきたと思う。
庭に来る蝶もそうだが、雨の日に窓の外側にとまっている蠅もまた可愛い。
激しく降る雨を避けて、雨の当たらない窓にとまって雨宿りをしている蠅。
賢いな(当たり前か?)と感心するのと同時に、蠅を愛おしく思う。
玄関前を箒で掃除している時、箒に驚いて大慌てで逃げる蟻や名前も知らない虫。
箒や私の足音に驚いて一瞬ビクッとするのが、虫も人と同じで親近感をおぼえる。
驚かさないように、踏んでしまわないようにと気をつけるようになった。
「一寸の虫にも五分の魂」と昔のことわざにあるが、前は分からなかったが、今は実感として少しわかるようになったのは年の功というやつだろうか。
ところで今日もカラスアゲハは来なかった。
一昨日の雨以来、姿を見ていない。
寒かったし、、、
そもそも蝶の寿命は短く、ひらひら飛んでいる成虫になってからだと2週間くらい、卵の時期からトータルしても40〜50日くらいの寿命なのだとか。
短い寿命を一生懸命に生きたカラスアゲハの姿を、今懐かしく思い出している。