久しぶりに近所の温泉へ行ってきた。
最近、遠くの温泉へ行くことが多くて、近所の温泉から足が遠のいていたけど、久しぶりに行く近所の温泉もやっぱりよかった。
いつも決まって行く温泉や銭湯は3箇所あって、その日の気分で行く所を決めている。
行ったのは古くから行っている温泉で、なぜかお湯に浸かりながら見知らぬ者同士で会話が始まるという、身も心も温かくなるお風呂だった。
と言ってもコロナがあってからは、以前ほどの会話は無くなりさびしい限りだと思っていたら、70代後半かと思われるお二人の女性同士が静かに話を始めた。
どうやらお風呂で知り合った常連さん同士のようだった。
「普段は自分で運転するんだけど、今日は天気が悪いから息子に車で送ってもらったの。もうそろそろ運転をやめようかと思うのだけど、つい便利だから運転しちゃう。だって重たい物でも気兼ねなく買えるでしょ?」
それを聞いたもう一人の女性が言った。
「息子さんに全部運転をお願いしたら?だって、そのために息子さん、こっちに戻って来たんでしょう?」
「そうなんだけど、いちいち頼むより自分で運転したほうが早いわ」
その会話を聞いていた私は、失礼ながら、その女性がまだ運転していらっしゃるということに驚いた。
60歳の私は、免許証の返納がもう頭に浮かぶ様になったと言うのに、自分で運転した方が早いとはまだまだお若い。
すると、息子さんに運転を頼んだら?と言った女性が話し始めた。
「頼める子どもがそばにいるなら、頼んだ方がいいわよ。私は子どもに遠慮して頼まなかったことを後悔してるの。うちの親は元気で、なんでも自分でできるんだと思われているみたいで、すっかり連絡が来なくなっちゃった」
なるほど、、、子どもの立場だったらそう思う。きっと安心しているのだろう。でも、たまには大丈夫かいと声をかけてもらいたいという女性の気持ちもまたよくわかった。
私も離れて暮らしていた父がまだ元気だと思っていたから、安心してあまり電話をしなかった。亡くなった後に父が日記代わりにしていた手帳が出てきて、中を読んだら寂しいという言葉がたくさんあって、胸が締めつけられる思いがしたっけ。もう少し気にしてあげたらよかったなあと思う。
今となっては、声がけをしたくても親がいない。
今はまだお世話されるより(子どもたちの)世話をすることばかりだが、もっと歳をとって、自分ではできないことが増えたら、子どもに限らず、周囲に、素直に救いを求められるようになっていたいと思う。
生まれてくるのも一人、死ぬのも一人。だから、年老いてもできるだけ自立していなければ、、、とずっと思っていたが、コロナで人とのふれあいが制限されることを経験したからなのか、最近人と人のふれあいや支え合いは大切だと思うようになった。
「でもね、息子とは喧嘩ばかりしてるの。ここへ送ってもらう車の中でも喧嘩してきたし」
息子さんに送ってもらったという女性が、そう言いながらも嬉しそうなお顔が印象的だった。