年末が近づいてきたから大掃除というわけでもないが、不要になった物を捨てている。
先日ブログにも書いたが、しばらく捨てることはおろか、見ることもできなかった鳥籠を捨てたことで弾みがついて、さらに仕舞い込んでいた大きな額縁を二枚捨てた。
これは20代最後の歳に、夫と共にローンを組んで初めて家を建てた時、新居のリビングに飾るために買ったものだった。
額縁と言ってもお金が無かったので、決して高い物ではなくて、どこにでもあるようなカジュアルな額縁に印刷された絵を入れたものだが、アパート暮らしの時には無かった大きな白い壁に二枚の絵を飾ったら、とても素敵になって嬉しかった記憶がある。
それから子どもが生まれて、ハイハイしながら階段を上がるようになったので、上れないように飾っていた一枚の絵を外して、階段の前に塀のようにしばらく置いていたこともあった。
それはそれで様になっていて、長男が一歳の時の年賀状は、その絵の前で笑っている長男の写真を使った。
夫婦二人だけの時から子どもたちが生まれて成長していくまで、笑ったり怒ったり悲しんだりの何気ない幸せな日常生活を、ずっと見ていた二枚の額縁だった。
だから義父母と同居するために新しい家に引っ越しをする時、捨てるという選択肢は無かった。いつかまた飾るかもしれないと思っていた。
しかし引越しをして16年。一度も飾ったことはない。
ずっと納戸の中に入れっぱなしだった。
一度も飾らなかったのは、若い頃は好みだった絵と額縁が、歳を重ねるうちに好みに合わなくなっていたからで、もう二度と飾ることはないとわかっていたが、それでも捨てることができなかった。
きっと無意識のうちに、それらを捨てるのは、思い出まで捨てるように思えたのだろうなあと自己分析、、、
それは鳥籠にも言えることで、鳥籠を捨てることはP太郎と過ごした10年まで捨ててしまう様な気がしたのだと思う。
鳥籠はP太郎ではないし、鳥籠や額縁を捨てても思い出まで捨て去る事はないと、鳥籠と額縁を処分した今はよく分かる。(ただし亡くなった大切な人の形見としての物は、例外だと思うが)
今はもう必要ではなくなったので手放すことに決めたのだけど、ちょっぴり胸の奥が痛んだものの、それ以上に清々しい気持ちになった。
物や場所には感情が残るとはよく聞くことで、呪われた宝石とか髪の毛が伸びる人形とか、幽霊の出る家とかは、それらを所有していた人の感情が残っているのだと思う。
不思議だけれど、物や家の中などの空間は、それを所有した人やそこに居た人たちの感情を汲み取っているそうだ。
だから逆に執着心からではなくて、大切にして愛情を注いであげた物や場所は、所有者を幸せにしてくれる。
二枚の額縁も鳥籠も十分に幸せをくれた。だから、もうこれらが無くても私は大丈夫。
他にもこれが無くなっても大丈夫だと思える物は無いかと考えているが、まだ有りそうかも。
手放すポイントは、少し前に流行ったが、それを見てワクワクするかどうか、好きだと思うかどうかだと思う。