戦後77年が経った。
98歳になる作家の佐藤愛子さんが、戦争中の話をよく本に書かれている。
「バケツリレーで爆発した焼夷弾に見立てた焚き火の上に、バケツの水をぶち撒ける。それで爆発した焼夷弾が消えるわけはないと、ホントは思っているくせに、誰もが必死の形相でやっていた。それから竹槍訓練。ルーズベルトの似顔絵を貼り付けた藁人形を立てて、金切り声上げて、走って行って竹槍を突き刺す。みんなアホになっていたんやねー」
バケツリレーと同じく竹槍一本で勝てるとは、誰も思っていなかったということだろう。
でも、当時はそんな事は間違っても口に出せなかった。
万が一でも口に出したら、非国民、国賊と言われ憲兵が飛んできたとか。
会ったことは無いが、私の祖父の弟が(大伯父?)憲兵だったそうだ。
制服姿で写真に映った、その顔は、睨まれたらもう縮み上がりそうなほど怖い。
あんなに怖い憲兵に連れて行かれるくらいなら、黙ってバケツリレーでも竹槍訓練でもやっていた方がマシだと思う。
でも今は、非国民、国賊と言われることもなく憲兵もいない。
何を言っても自由!、、、になったのだろうか?
あまり変わっていないのではないかと言う気がしてならない。
私は未接種だが、専業主婦なので受けていなくても別に困ることはない。
でも家族は違う。
周囲のほとんどが接種済みで、うっているのが当たり前という前提で話をされると、未接種だとはなかなか言いにくいようだ。
「この前なんか、二回うちましたって嘘ついちゃった」と言うので、笑ってしまったが、一方で苦労してるんだなと不憫になってしまった。
かたや別の家族の職場では、社長の方針で未接種者に接種の強要をしたり、差別をした者には罰則を与えるというお達しがされているそうで、未接種でもコソコソしている必要はまったく無いのだそうだ。
とはいえ、それは特別で、すでに絶滅危惧種に近い未接種者は、周囲に知られないように、息を潜めてひっそりと生きている人が多いのではないだろうか。
ところで、そんな息苦しい世の中に、風穴が開いたような話題を知った。
札幌市内の幾つかの大きな病院が、「四回目の接種の実施はしません」と宣言し始めたこと。
これまでの接種で、何か感じたところがあるのかもしれない。
みんな一斉に同じ方向を向くと言うのは、良いこともあるが、そうじゃないこともたくさんある。
注射については、良いことも悪いことも、もっともっと自由に意見を言える世の中であれば良かった。そして、それらを知った上で、自分の意思でうつかうたないかを選べる社会だったらよかったのに、、、と思わずにはいられない。