先日、妹と娘を連れて、高齢者住宅に住む父に会いに行った。
行った時はちょうどカテーテルで導尿をする時間だったようで、父はベッドの中で横たわっていた。
導尿が済んだところで、皆で父のベッドの横に座り、父の顔を見ながら話しかけた。
父は眠っておらず目はしっかりと開けているのだが、声を出すことはほとんど無くなってしまった。
ただこちらが話すことは分かっているようで、軽くうなずいて答える。
と言っても、あれっ?と首をかしげることにもうなずくので、とりあえず全ての質問にうなずいているのかもしれない。
レビー小体型認知症が進んでいるためか、手に震えが見られ、顔も無表情になってきたのが気になった。
そんな中で、珍しくもとても嬉しそうな笑顔を見せてくれた時があった。
私が父の姉である伯母のこと、そして夫の母であるお姑さんの話をした時だっただろうか。
伯母とお姑さんは共に89歳で父よりも3つ年上なのだが、身体は元気なのでいつも動き回っている。
(だから周囲はいつも目が離せないということもあるのだが・・・)
「伯母さんもお姑さんもとっても元気だよ。お父さんの方がまだ若いんだから頑張らなきゃね」
そう言ったら、それまで表情の無かった父が目を細めて顔をくしゃくしゃにして笑ってくれた。
そして笑顔のまま、父はしばらく私の顔を見つめていた。
と、その瞬間、急に父は目を大きく見開き、まるで驚いたような表情になったかと思ったら、今度は自分で起き上がろうとするように身体を動かし始めた。
その間も大きく見開いた目はじっと私を見つめたまま。
動かない身体を一生懸命うごかして私の方へ向かって来ようとする。
「お父さん、どうしたの?苦しいの?」
あまりにも突然の父の様子に、そばにいた妹も驚いて父に声をかけた。
父はすこし我に返って、初めて首を横に振った。
よかった。心臓が苦しくなったのではなかったようだ。
それからもしばらく私の方を不思議そうに見つめる父の様子に、もしかしてまた幻視でも見えたのだろうかと思った。
レビー小体型認知症は、そこに無いものが見える幻視が症状のひとつだと言われる。
高齢者住宅に入ったばかりの頃、今から3年くらい前には父にも幻視が現れ「部屋の中に二人組の男が入ってくる」とよく言っていた。
その後は投薬のおかげで幻視はまったく見えなくなっていたのだが・・・いったい父は何を見ていたのだろう?
もしかしたら、私を亡くなった母だと思ったかな??
私は母によく似ていると言われていた。
母が亡くなった時、父は56歳。
単身赴任が多かったので、「お母さんと一緒に暮らした時間は本当に短かった」と、葬儀の時、父はそう言って泣いた。
母が亡くなってからも、父は仕事に日々忙しくしていたが、暇な時に短歌と俳句を作っていた。
「妻の里 心ひかれて 車旅 主(ぬし)無き家に 一人たたずむ」
(父は、車で6時間もかかる母の実家へひとりで行ったのだろう。母の実家は、当時誰も住んでいない空き家になっていた)
「在りし日の 楽しき姿 夢うつつ」
「妻去りて 嘆きの日々で 春を待つ」
「妻の愛 おそき想いと 今に知る」
「ふたり旅 楽しき想い 今は夢」
「ひとり旅 知らぬ夫婦(めおと)が 羨まし」
父は母の死後、何年もの間、母への想いを綴った歌を多く書いている。
あらためて父の作った歌を読み返しながら、家族に対しても、周囲の人たちに対しても、後悔しないように接していこうと思う。
私たちはいつか必ず死ぬのだから。
行った時はちょうどカテーテルで導尿をする時間だったようで、父はベッドの中で横たわっていた。
導尿が済んだところで、皆で父のベッドの横に座り、父の顔を見ながら話しかけた。
父は眠っておらず目はしっかりと開けているのだが、声を出すことはほとんど無くなってしまった。
ただこちらが話すことは分かっているようで、軽くうなずいて答える。
と言っても、あれっ?と首をかしげることにもうなずくので、とりあえず全ての質問にうなずいているのかもしれない。
レビー小体型認知症が進んでいるためか、手に震えが見られ、顔も無表情になってきたのが気になった。
そんな中で、珍しくもとても嬉しそうな笑顔を見せてくれた時があった。
私が父の姉である伯母のこと、そして夫の母であるお姑さんの話をした時だっただろうか。
伯母とお姑さんは共に89歳で父よりも3つ年上なのだが、身体は元気なのでいつも動き回っている。
(だから周囲はいつも目が離せないということもあるのだが・・・)
「伯母さんもお姑さんもとっても元気だよ。お父さんの方がまだ若いんだから頑張らなきゃね」
そう言ったら、それまで表情の無かった父が目を細めて顔をくしゃくしゃにして笑ってくれた。
そして笑顔のまま、父はしばらく私の顔を見つめていた。
と、その瞬間、急に父は目を大きく見開き、まるで驚いたような表情になったかと思ったら、今度は自分で起き上がろうとするように身体を動かし始めた。
その間も大きく見開いた目はじっと私を見つめたまま。
動かない身体を一生懸命うごかして私の方へ向かって来ようとする。
「お父さん、どうしたの?苦しいの?」
あまりにも突然の父の様子に、そばにいた妹も驚いて父に声をかけた。
父はすこし我に返って、初めて首を横に振った。
よかった。心臓が苦しくなったのではなかったようだ。
それからもしばらく私の方を不思議そうに見つめる父の様子に、もしかしてまた幻視でも見えたのだろうかと思った。
レビー小体型認知症は、そこに無いものが見える幻視が症状のひとつだと言われる。
高齢者住宅に入ったばかりの頃、今から3年くらい前には父にも幻視が現れ「部屋の中に二人組の男が入ってくる」とよく言っていた。
その後は投薬のおかげで幻視はまったく見えなくなっていたのだが・・・いったい父は何を見ていたのだろう?
もしかしたら、私を亡くなった母だと思ったかな??
私は母によく似ていると言われていた。
母が亡くなった時、父は56歳。
単身赴任が多かったので、「お母さんと一緒に暮らした時間は本当に短かった」と、葬儀の時、父はそう言って泣いた。
母が亡くなってからも、父は仕事に日々忙しくしていたが、暇な時に短歌と俳句を作っていた。
「妻の里 心ひかれて 車旅 主(ぬし)無き家に 一人たたずむ」
(父は、車で6時間もかかる母の実家へひとりで行ったのだろう。母の実家は、当時誰も住んでいない空き家になっていた)
「在りし日の 楽しき姿 夢うつつ」
「妻去りて 嘆きの日々で 春を待つ」
「妻の愛 おそき想いと 今に知る」
「ふたり旅 楽しき想い 今は夢」
「ひとり旅 知らぬ夫婦(めおと)が 羨まし」
父は母の死後、何年もの間、母への想いを綴った歌を多く書いている。
あらためて父の作った歌を読み返しながら、家族に対しても、周囲の人たちに対しても、後悔しないように接していこうと思う。
私たちはいつか必ず死ぬのだから。