人や動植物などの周りには「オーラ」と呼ばれる光があるという。
そして、この光は人によって色が違い、また同じ人でも健康状態や思考の変化によって色が変わるのだとか。
すこし前のブログ記事に、自分の指先から白い煙のようなものが上がっているのが見えることを書いた。
これが一体どのように見えるのかと言うと、左右それぞれの指のある一点から噴き出すように白い煙が出ている。
もわっというよりシューっと感じで出ているのが見える。
それは誰の指先からも出ていると思う。(実際に他人のは見たことはないが・・・)
詳しいことはよくわからないが、これは「気」というものなのだろうと思う。
指先から出ている白い煙は、息を吹きかけるとふわっと揺れ動く、まさに煙そのものなのだが、一時期、風で揺れる白い煙がおもしろくて、暇な時によく自分の指先を見ていたことがあった。
しかし、あまり見過ぎたせいですっかり飽きてしまい、その後ぱったりと見ることをやめてから数年がたった。
ところが、先日ソファで横になってリラックスしていた時、何気なく自分の指先を見て、ふと白い煙のことを思い出した。
「どれどれ、今でも煙は元気に噴き出しているかな?」
そんな軽い気持ちで久しぶりに自分の指先を見たのだったが、今回はいつも見える白い煙じゃないものが手の周囲に見えた。
それは光の色。
それがオーラと呼ばれるものなのだろうか。
これは、昔も薄暗い部屋で鏡を見た時、鏡に映った自分の身体の周りに発光する光が見えることがあったのだが、不思議なのは、昔みた自分のオーラの色と今回見た色が明らかに違うことだった。
昔見た時は、黄色の混ざった淡い緑色をしていたのだが、今回は緑ではなく鮮やかな紫色だった。
また、昔のように薄暗い部屋ではなく、昼間の明るい部屋にいるのに、自分の手の周囲に紫色の光の層がはっきりと見える。
目がおかしくなったのかと何度も見直してみたのだが、やはり紫色の光が自分の手の周囲を取り巻いていた。
鮮やかな紫色の光。
しかし、じっとみていると、その紫に青みが混ざったり、また紫に戻ったりと、一定の色で固定されるのではなく、短い時間でも微妙に色が変化することがわかった。
色によって性格だとか考え方だとか、意味があるらしいことはネットで検索するとたくさん出てくるが、それについてはあまり興味がない。
それよりも、なぜ色のついた光が身体の周囲にあるのか?
なぜ光の色は、昔の淡い緑から鮮やかな紫色へと、こんなにもはっきりと変わったのか?・・・健康や思考の変化だとしたら、それがどうして色の変化になるのか?
そして、指先から出ている白い煙との関係性は?・・・などなど、そのようなことに興味がある。
その日の晩、テレビを観ていた夫にオーラのことを話したら、夫がテレビを観ながら自分のオーラも見て欲しいと言った。と言っても、テレビから目を離さず、全く真剣さは感じられないのだが。
「じゃあ、見る?」というわけで、夫の手を取った。
そういえば、昔も鏡に映った自分の身体の周りに緑色の光があることを夫に話したら、「自分のも見て欲しい」と言うので見たことがあった。
たしか、その時には夫の周囲の色が銀色をしていたのだが、はたして色に変化はあったかな?
夫の手をじ~っと見る。
じ~っ、じ~っ、じ~っ・・・
「まだ?」と夫がテレビを観ながら聞いてくる。
「待って、まだ」と答えながら、夫の手を見つめる。
じぃ~っと、じぃ~っと見つめる。
「まだ?」と、再び夫が聞く。
「まだっ!」
しばらく夫の手をじ~っと見続けたのだが、見えない。
もしかして透明色とか?
やはりリラックスしていないからだろうか。夫の「まだまだ攻撃」で緊張感と焦りが高まって集中できない。
結局、夫の色は見えなかった。
テレビを観ながら、手だけを私に預けていた夫は、すっかり飽きたようで「やっぱりいいわ」と言って手を引っ込めた。(←その程度の興味しか持っていない)
自分の色は、はっきりと見えるのに、どうも人のは見えにくい。
多少なりとも緊張するせいかもしれない。
しかし何色だったとしても、それ以上のことは私にはわからないので「だからどうした」という話なのだが・・・
というわけで、自分のオーラを見るのも、白い煙同様そのうち飽きることは、我ながら明らか。
人体の周囲を取り巻く色のついた光(オーラ)が、不思議で面白かったので、ちょっと書いてみました。