先日のブログ記事で、長女が高等養護学校を卒業して就労支援の作業所に通っていることを書いたが、長女には、世間で言うところの知的障害がある。
今は、それもまた長女の個性だと思っているが 、昔はまったくそうは思えず、娘が幼稚園から小学校卒業まで(障害の認定を受けるまで)、ほかの子どもと比べて落ち込んでばかりいた。
普通はこうあるべきという価値観が私の中に根を下ろし、自分自身もそのような価値感の中で育てられてきたので、まさか自分の子がその価値観に当てはまらないというのは、どうしても受け入れられなかった。
なんとか自分の価値観に娘を当てはめなければと、あの頃は娘を連れて右往左往していたが、本当はそのようなことをしていることが、精神的にとてもつらかった。
娘は普通学級で普通にやっていける、、、そう思って自分を奮い立たせていたが、それは娘を苦しめることにもなった。
多分、娘にとって学校の授業は、まるで外国語を聴いているかのようだったと思う。先生が話すことはチンプンカンプンだっただろうし、周囲の友だちに溶け込むことができず、いつもポツンとひとりぼっちだった。さらには、いじめも始まってしまった。
中学で支援学級を勧められた時、あぁ、この子はついに普通というレールから外れてしまうのかという絶望感が湧いたが、それ以上に、これでよかったという安堵感が湧いた。
私の間違った価値感と、どうしても普通だと思いたいという自我で、自分はおろか娘にまでつらい思いをさせてしまった。
しかしながら、あの頃の右往左往して苦しんでいたことは、決して無駄ではなかったと思う。
それらがあったからこそ今があると、娘には心から感謝している。
私の偏った価値観は木っ端みじんに打ち砕かれ、生きているだけでどんな人もすごいんだと思うようになった。
また、そのおかげで先祖供養や神祀りをしようという気持ちになり、まるで心が長い旅をしているかのように、自宅に居ながら多くのことを見て、感じて、考えて、学ばせて頂くことができた。
この先も続くであろう旅では、これからもまだまだたくさんの学びに出会えるだろうという期待と喜びでわくわくしている。
起こることに無駄はないというのは本当のことだと思う。
たとえ、それが自分自身にとっては不幸だと思うことでも、必要だったから起きたのではないだろうか。
その出来事を見て感じて味わって、なんとかしようとジタバタして、苦しんで、悲しんで、怒り狂うこともまた必要なことだった。
自分の奥深い心の中では、本当は望んでいたことであり(多くの反論がありそうですが)、それらが起きたことは全てよしとする事なのだ。多分・・・
自分の表明意識、自我からすれば、よしとするには時間がかかる。
どうして私だけがこんなつらい目に遭わなければいけないのかと思うだろうし、人によっては死ぬまでよしとできないかもしれない。
ただ自分にとって不本意なことが起こった場合、嘆き悲しんで暗いトンネルの中に迷い込んでしまったとしても、その出来事もまたよしなのかもしれないと少しでも思えたら、そこから抜け出すきっかけになるかもしれない。なかなか難しいですが・・・
というわけで、この記事を書くのに非常に時間がかかってしまった。何日もかけて書いては消して、書いては消してを繰り返していたが、それでも上手く自分の言いたいことが書けたかどうか自信が無い。
このように書き直しを繰り返していたら、まさに私の身に不本意なことが起きてしまいました。
もう一度、身をもって知りなさいということだろうか。
というわけで、その話はまた。