週に二日ほど、小学生を教えている学習塾へアルバイトに行っている。
私の仕事は生徒がやった問題の採点で、たまに先生が忙しい時には簡単な事くらいなら教えている。
ところが先日、三人いるうちの二人の先生が急な用事ができたというので来られなくなってしまった。
その日は私の出勤日ではなかったが、残った先生から「一人だけでは対応ができない」とヘルプの電話が入り、急遽行くことになった。
そして、休んだ二人の先生の代わりに私が任されたのは「国語」だった。
私の働きに行っている塾は個別対応なので、集団授業をするのではなく、生徒に問題を解かせて、わからない問題だけを指導するという方式になっている。
「国語おねがいします!」と頼まれて、模範解答の解説書もあるので何とかなるだろうと引き受けたのだが、これが非常に難しかった。
そして、さっそく「わかりません」と言ってやってきたのは、6年生の女の子だった。
持ってきた問題を見てみると、かなりの長文問題で「赤のライン線が引いてある文から、著者が何を言いたいのかを読み取りなさい」というものだった。
6年生くらいになると文章もなかなか難しく、一度読んだくらいでは理解するのは難しい。
頼りの解答の解説書も、ほとんど正解そのものがごく簡単に書かれているだけで、生徒が理解できるような教え方が載っているわけでもなく、まったく頼りにならない。
「このラインの部分の前後を何度も読んでごらん」と言って読ませたが、やはり分からない様子。
「作者は何が言いたいのだと思う?」と問いかけるも、生徒は首をかしげるばかり・・・
さて、どうやってわからせたらいいものか・・・私も首をかしげて考えてしまう。
解答は文章部分からの書き抜きではなくて、自分の言葉で考えて書くものなので教えるのがとても難しい。
ヒントになるようなことをいくつも教えて、ようやくわかってくれた時には、私も(冷や)汗びっしょりだった。
ところが、やっとわかってくれたかとホッとしたのもつかの間、「これもわかりません」と言って持ってきた問題集には、何も書いていない解答欄が並んでいた。
このような時、決まった答えが入るものは教えやすいのだが、生徒に自分の言葉で考えさせる答えは、何度も書くようだが、本当に教えるのが難しいと実感した。
どんな言葉で生徒に教えたらわかってくれるのだろう?ということは、教えている間中、ずっと頭の中にあったことだった。
「想像してみて!こういう時、〇〇ちゃんなら、まず何て言う?」と生徒に聞いてみたのが下の問題。
これは学級討論会で、ある問題について肯定派と否定派が意見を言い合う場面で、「あなたが、もしも肯定派なら、そしてもしも否定派なら、それぞれまず最初になんと発言するでしょうか?」という問題だった。
これは「私は〇△に賛成です」とか「私は〇△にした方が良いと思います」など、まず最初に自分が肯定派なのか否定派なのかをみんなに宣言するのが正解で、ごく簡単で当たり前の事じゃないかと思うのだが、これがなかなか出てこない。
今の小学校では、こうした討論会的なことをやっていないのかなぁ。
私が小学生の時は学級会という名で、クラス全体で意見を言い合って物事を決めたような気がするし、「道徳」の時間には、タイトルは忘れてしまったが何か問題が起こってクラスで解決していくような番組をみせられたのを憶えている。
他人の気持ちを思いやること、問題が起きた時に(みんなで)解決していくこと、このようなことは、すべてとは言わないが、国語の力が大切なのかもしれない。
国語力を伸ばすには、まず読書をすることかな。
とは言え、じゃあ我が子はどうかと言えば、長女のチェリーは本嫌いなので、偉そうなことは決して言えないのだけど。
でも教えるのは本当に楽しいし、子どもたちもすごく可愛い。
この歳になって、素敵な仕事に巡り合えたなぁと感謝している。
私の仕事は生徒がやった問題の採点で、たまに先生が忙しい時には簡単な事くらいなら教えている。
ところが先日、三人いるうちの二人の先生が急な用事ができたというので来られなくなってしまった。
その日は私の出勤日ではなかったが、残った先生から「一人だけでは対応ができない」とヘルプの電話が入り、急遽行くことになった。
そして、休んだ二人の先生の代わりに私が任されたのは「国語」だった。
私の働きに行っている塾は個別対応なので、集団授業をするのではなく、生徒に問題を解かせて、わからない問題だけを指導するという方式になっている。
「国語おねがいします!」と頼まれて、模範解答の解説書もあるので何とかなるだろうと引き受けたのだが、これが非常に難しかった。
そして、さっそく「わかりません」と言ってやってきたのは、6年生の女の子だった。
持ってきた問題を見てみると、かなりの長文問題で「赤のライン線が引いてある文から、著者が何を言いたいのかを読み取りなさい」というものだった。
6年生くらいになると文章もなかなか難しく、一度読んだくらいでは理解するのは難しい。
頼りの解答の解説書も、ほとんど正解そのものがごく簡単に書かれているだけで、生徒が理解できるような教え方が載っているわけでもなく、まったく頼りにならない。
「このラインの部分の前後を何度も読んでごらん」と言って読ませたが、やはり分からない様子。
「作者は何が言いたいのだと思う?」と問いかけるも、生徒は首をかしげるばかり・・・
さて、どうやってわからせたらいいものか・・・私も首をかしげて考えてしまう。
解答は文章部分からの書き抜きではなくて、自分の言葉で考えて書くものなので教えるのがとても難しい。
ヒントになるようなことをいくつも教えて、ようやくわかってくれた時には、私も(冷や)汗びっしょりだった。
ところが、やっとわかってくれたかとホッとしたのもつかの間、「これもわかりません」と言って持ってきた問題集には、何も書いていない解答欄が並んでいた。
このような時、決まった答えが入るものは教えやすいのだが、生徒に自分の言葉で考えさせる答えは、何度も書くようだが、本当に教えるのが難しいと実感した。
どんな言葉で生徒に教えたらわかってくれるのだろう?ということは、教えている間中、ずっと頭の中にあったことだった。
「想像してみて!こういう時、〇〇ちゃんなら、まず何て言う?」と生徒に聞いてみたのが下の問題。
これは学級討論会で、ある問題について肯定派と否定派が意見を言い合う場面で、「あなたが、もしも肯定派なら、そしてもしも否定派なら、それぞれまず最初になんと発言するでしょうか?」という問題だった。
これは「私は〇△に賛成です」とか「私は〇△にした方が良いと思います」など、まず最初に自分が肯定派なのか否定派なのかをみんなに宣言するのが正解で、ごく簡単で当たり前の事じゃないかと思うのだが、これがなかなか出てこない。
今の小学校では、こうした討論会的なことをやっていないのかなぁ。
私が小学生の時は学級会という名で、クラス全体で意見を言い合って物事を決めたような気がするし、「道徳」の時間には、タイトルは忘れてしまったが何か問題が起こってクラスで解決していくような番組をみせられたのを憶えている。
他人の気持ちを思いやること、問題が起きた時に(みんなで)解決していくこと、このようなことは、すべてとは言わないが、国語の力が大切なのかもしれない。
国語力を伸ばすには、まず読書をすることかな。
とは言え、じゃあ我が子はどうかと言えば、長女のチェリーは本嫌いなので、偉そうなことは決して言えないのだけど。
でも教えるのは本当に楽しいし、子どもたちもすごく可愛い。
この歳になって、素敵な仕事に巡り合えたなぁと感謝している。