ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

苦しみの先

2015-12-15 12:07:58 | 日記
年に1度くらいの割合で、道東に住む夫の叔父さん(お姑さんの弟)が仕事ついでに、お姑さんの顔を見に我が家へ来てくれることがある。

叔父さんの仕事が空いた時間に来るので、いつも突然やってくることが多い。

そんなわけで昨日も一年ぶりに叔父さんが訪ねてきてくれた。

ところが急なことだったので、お姑さんはデイサービスに行って留守だった為、家に上がっていただき、お姑さんの帰りを待ってもらうことにした。

私は夫の叔父さんとは挨拶くらいしかしたことがなく、今まで面と向かい合ってお話をしたことはなかったのだが、今回はお姑さんを待つ間、お姑さんや家族の近況などの話をした。

夫の叔父さんは60代後半だが、お姑さんはその叔父さんをとても可愛がっている。

元は公務員をしていそうだが、30代の時に公務員を辞めて好きだった写真の道へ入られたと聞いていた。

地元で写真館を経営されるかたわら、道内の自然や動植物の写真を撮り、首都圏や関西でも個展を開いて、そこで写真を買ってもらうそうだ。

また旅行雑誌に何度も載って、わざわざ遠くからお客さんが来てくれるほどの素敵な喫茶店も経営されている。

まさに自分の好きな道で成功されたという、傍から見るとうらやましいほど順調な人生を歩いて来られたような方だと思っていた。

そんな夫の叔父さんとお姑さんを待つ間、初めて長くお話をすることができた。

叔父さんが撮った美しい写真のカレンダーを見ながらお話を伺っていたのだったが、叔父さんが疲れたように「好きで始めたことですが大変ですよ」とおっしゃった。

最近は写真のデジタル化が進み、写真館で写真を撮る人が少なくなったので、経営していた写真館を閉めたそうだ。

写真がたまに売れるとは言え、食べていけるほど売れるわけではない。

また童話の中に出てきそうな素敵な喫茶店も大自然の中の素晴らしいロケーションに建っているのだが、大自然=ど田舎でもあるわけで、利益は出ているものの、いつも満員御礼というわけにはいかないのだそうだ。

だから今は食べていくために観光ガイドの仕事もしているそうだが、歳をとったせいか、最近はなかなかきついと感じるそうだ。

叔父さんはこのようにおっしゃった。

「私は本当はちゃらんぽらんでダメな人間なんですよ。女房や子供がいるのに、安定した職を捨てて、自分が好きだというだけで、写真なんて道に飛び込んだんですから。
今になって奥さんが言うんです。
公務員時代の同僚が定年して、悠々自適の暮らしで海外旅行に行ったりしているのに、私は海外なんて一度も行ったことがないってね。」

私は叔父さんをちゃらんぽらんだともダメ人間だとも、微塵も思ったことはない。

物静かでいつも穏やかで、微笑を絶やさない方だ。

そのように自分の事を言うなんて、叔父さんは好きな写真の道に飛び込んだことを、今になって後悔しているのだろうかと思った。

夫から聞いた話によると、叔父さんが公務員を辞めて写真の世界に入ると言った時、お姑さんをはじめ親戚一同が猛反対をしたそうだ。

「養っていかなければいけない家族がいるのに、安定した職を捨てて成功するかどうかわからないような世界に飛び込むなんて無謀だ」と・・・

それでも叔父さんは写真の道へ進んだ。

叔父さんの口調からは、歳をとって健康に不安を感じるようになった今、公務員を続けていればよかったという後悔の思いが感じられたような気がした。

でも公務員を続けていたとしたら、叔父さんは写真の道に入らなかったことを後悔していたのではないだろうか。

生活は安定して家族にかける金銭的な苦労も少なかったかもしれないが、叔父さんの気持ちが納得できないままだったかもしれないし、公務員の仕事でも苦労があったはずだ。

だから結果はどちらでもよかったのだと思う。

どんなに成功したように見える人でも人知れず苦労や嫌なことがあるはずで、すべて自分の思ったとおりに事が進んでいく人なんて皆無だろう。

自分にとって良いことばかりが起こることを望み、できるだけ嫌なことや苦しいことには遭いたくないと思うが、もがき苦しみを抜けたその先に思っても見なかった心の安定や幸せがあるのかもしれない。

そんなことを考えながら叔父さんのお話に耳を傾けていたのだが、叔父さんは最後にこのようにおっしゃった。

「すべては他人に支えられて、ここまで来たんです。家族にも支えてくれた人たちにも感謝しかないです。本当に有り難いことです」

さらに続けてこうおっしゃった。
「写真はね、待っている時間がいいんです。一人静かにシャッターチャンスを待っている時間が私は好きなんですよ」

満足そうな叔父さんの笑顔になんだか私まで嬉しくなったところで、ちょうどお姑さんが帰ってきた。

家の中からとつぜん現われた叔父さんを見て、お姑さんの驚いた顔がうれしさで涙顔に変わった。






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