旅行に行っている時を除いて毎日行う先祖供養だが、多くのご先祖たちが、私たち子孫を守るように背後にいらっしゃること、そしてこちらから話しかけることは、しっかり届いていることをとても感じる。
たとえば亡くなって三十年以上が経った母。
今はもうあまり存在を感じなくなってしまったが、前は亡くなった母に弟や妹のことを相談すると、数日後に二人から「お母さんが夢に出てきた」と言われることが何度かあった。
夢の中で、まさしく私が母に相談していたことを母から言われたという。
弟と妹には、亡き母に相談していたことはもちろん言っていなくて、「ヘェ〜そうなんだ」と言いながら、初めて知ったように平静を装っていたが、内心では「ホントに伝わってる!」と驚いていた。
それは母だけではなくて父も、それから血のつながりはなくても供養をしているご縁のある方々も、夢や気配や額に映る映像などを使って、言いたかった事を伝えてきた。
だから人は亡くなっても身体が無いだけで、生きている時と同じように伝え合うことができるのだと思えるようになった。
でもご先祖様というのは、自分の知っている方ばかりではない。
むしろ知らない方のほうが、大半を占めている。
直接は知らなくても、昔その人がたしかに存在していたことを知っているなら、こちらから意識を向けるとちゃんとそれを受け取ってもらえることを感じる。
そして自分がまったく知らない大勢の方々にも、もちろん供養はしっかり届いている。
私は自分のことを祈ることは、ほとんど無いのだけど、いざという時には背後に大勢の方々が、勢揃いして下さることを感じる。
だから病気に苦しむ知人が、少しでも楽になるように祈る。
知人に縁がある方が、力になってくれるように。
もしかすると、その病気は自身が選んできたものなのかもしれないが、現実に苦しんでいるのを聞くのは辛い。
ところで数日前に知人の家族から「病状が少し回復して食事が摂れるようになった」と連絡をもらった。
そして転院して面会ができるようになったと聞いて病院に行ってきた。
回復したと言っても病気が治るわけではないので、まだとても苦しそうに息をしていたが、「少し太ったの」と言って細い腕を見せてくれた。
少しであっても良くなって本当によかった。
自分の祈りが通じたからとは思わないが、知人にご縁のある方々が、力を貸してくださったのではないだろうかと思う。
私たちが子どもや孫を心配するように、ご先祖たちも同じような気持ちで見ていらっしゃる。
最近それをますます確信している。