ピーチと一緒に関東へ行くために4日間ほど家を空けたのだが、帰ってきってみたらオカメインコのP太郎の様子がいつもと違っていた。
鳥かごの側面に張り付いたまま、切れ間なく人を呼ぶ鳴き声をあげている。
夫に私たちが居なかった時のP太郎の様子を聞くと、特にいつもと変わったところはなかったそうだ。
ただ夫も長女チェリーもお姑さんも、普段はP太郎をかごから出して遊んであげるということはしないので、いつも出して遊んでいる私とピーチが居なくなってから、P太郎はずっと鳥かごの中に入りっぱなしだったそうだ。
「きっと出たかったんだ」
そう思ってP太郎をかごから出して、しばらく遊ばせてあげたのだが、かごの中に入れるとまた鳴き続ける。
「よほどかごから出たかったんだねぇ。かわいそうに」と、それからできるだけ一日に何度もP太郎をかごの外に出して遊ばせたのだが、P太郎が普段の落ち着きを取り戻すまで3日ほどかかってしまった。
オカメインコは野生では集団で行動するとか。
野生の中で仲間からはぐれてしまう事は死を意味する。
P太郎とは1~2を争うくらいふれあっていたピーチと私、P太郎にすれば急に「仲間」がいなくなったので落ち着かなくなってしまったのかもしれない。
やっと落ち着きを取り戻したP太郎だったが、一番好きな次女ピーチの姿がないので、ピーチが居た頃のように、甘えた声でピーチを呼ぶこともなく、笑うこともなくなってしまった。
P太郎にとって2番手の私ではピーチの代わりにはなれないのだろう。
鳥にも感情がある。
そう思ったのは、P太郎を飼うようになってからだった。
嬉しいときはうれしそうな顔をして、時には人間のモノマネでおぼえた笑い声をあげる。
一番なついているピーチに甘えるときは、普段は聞いた事もないような、まるで親鳥に餌をねだるヒナのように甲高い声でピイーピイー鳴き、自ら首を下げて頭を掻いて貰うことを要求してくる。
しかしピーチが大学進学で家を離れた今、P太郎は前のようなはしゃぎ方をせず、どこか寂しそうに見える。
「もの思う鳥たち 鳥類の知られざる人間性」 セオドア・ゼノフォン・バーバー著は、多くの動物学者が鳥を実際に飼ったり、観察したりした結果わかった鳥たちのことが書かれている。
それは今までほとんどの人間が考えたことも無かったこと、鳥たちも物を考えて、感情もあるということが書かれている。
この本を読むと、鳥もまるで人間のように個性があり、恋をしてペアになり愛をささやき合っていたり、喜びの感情や悲しみの感情を持ち、時には踊ったり、歌ったりと、驚くほど豊かな感情を持って生活していることが分かる。
実はこの本を読むのは二度目だが、以前読んだときより今の方が理解できる部分が多かった。
それはP太郎との生活が長くなり(7年目)、前より鳥のことが分かるようになったせいかもしれない。
また、毎年冬になると庭にやって来る野鳥達を見ていて気がついたことも本の中に書かれていた。
それは、野鳥は集団で来る種類もあるが、大体どの種類もペアで来る事が多いのだが、お互いに言葉を交わしているかのように交互にさえずる様子が見られることだった。
けっして同時にピーピー鳴くのではなく、交互に鳴くのだ。
著者やその他の研究者たちが長年鳥を観察した結果、やはり鳥たちはこのようにして会話のキャッチボールをしてコミュニケーションをとっていることが分かったそうだ。
そう思うと、いつも私たちが食べているニワトリだって、同じように感情があるはずだし、牛や豚なども当然のように感情を持っているだろう。
そのようなことを知ってしまうと、お肉を食べることができなくなりそうだが、肉を食べることを長い間の習慣としてきた私たちが、今すぐに肉食を止める事は難しい。
いずれ肉に代わる様な栄養素を持つ食品ができて、動物達の命を奪わずに済む時代がやってくるのかもしれないが、今は命を与えてくれた動物達に感謝して頂かなければいけないと、本を読んでまた強く思う。
ところで、前に「カラス」という題で、カラスの数が減っていることを書いたが、世界中では今カラスだけではない多くの動植物が絶滅の危機に瀕しているそうだ。
特に鳥類は空を飛ぶため、空気汚染の影響を大きく受ける。
また9000種ほどの鳥類の約半数が暮らす熱帯雨林も人間によってどんどん破壊され続けているという。
「鳥や他の動植物の健康や生活を破壊することを通じて、人間は、自分達の健康や環境も破壊している」
そう書かれた本の一文が非常に心に残った。まったくその通りだと思う。

今朝のP太郎。
笑顔はなくどこか寂しげ!?
何を思っているのかな?もの思う鳥でした。。。
鳥かごの側面に張り付いたまま、切れ間なく人を呼ぶ鳴き声をあげている。
夫に私たちが居なかった時のP太郎の様子を聞くと、特にいつもと変わったところはなかったそうだ。
ただ夫も長女チェリーもお姑さんも、普段はP太郎をかごから出して遊んであげるということはしないので、いつも出して遊んでいる私とピーチが居なくなってから、P太郎はずっと鳥かごの中に入りっぱなしだったそうだ。
「きっと出たかったんだ」
そう思ってP太郎をかごから出して、しばらく遊ばせてあげたのだが、かごの中に入れるとまた鳴き続ける。
「よほどかごから出たかったんだねぇ。かわいそうに」と、それからできるだけ一日に何度もP太郎をかごの外に出して遊ばせたのだが、P太郎が普段の落ち着きを取り戻すまで3日ほどかかってしまった。
オカメインコは野生では集団で行動するとか。
野生の中で仲間からはぐれてしまう事は死を意味する。
P太郎とは1~2を争うくらいふれあっていたピーチと私、P太郎にすれば急に「仲間」がいなくなったので落ち着かなくなってしまったのかもしれない。
やっと落ち着きを取り戻したP太郎だったが、一番好きな次女ピーチの姿がないので、ピーチが居た頃のように、甘えた声でピーチを呼ぶこともなく、笑うこともなくなってしまった。
P太郎にとって2番手の私ではピーチの代わりにはなれないのだろう。
鳥にも感情がある。
そう思ったのは、P太郎を飼うようになってからだった。
嬉しいときはうれしそうな顔をして、時には人間のモノマネでおぼえた笑い声をあげる。
一番なついているピーチに甘えるときは、普段は聞いた事もないような、まるで親鳥に餌をねだるヒナのように甲高い声でピイーピイー鳴き、自ら首を下げて頭を掻いて貰うことを要求してくる。
しかしピーチが大学進学で家を離れた今、P太郎は前のようなはしゃぎ方をせず、どこか寂しそうに見える。
「もの思う鳥たち 鳥類の知られざる人間性」 セオドア・ゼノフォン・バーバー著は、多くの動物学者が鳥を実際に飼ったり、観察したりした結果わかった鳥たちのことが書かれている。
それは今までほとんどの人間が考えたことも無かったこと、鳥たちも物を考えて、感情もあるということが書かれている。
この本を読むと、鳥もまるで人間のように個性があり、恋をしてペアになり愛をささやき合っていたり、喜びの感情や悲しみの感情を持ち、時には踊ったり、歌ったりと、驚くほど豊かな感情を持って生活していることが分かる。
実はこの本を読むのは二度目だが、以前読んだときより今の方が理解できる部分が多かった。
それはP太郎との生活が長くなり(7年目)、前より鳥のことが分かるようになったせいかもしれない。
また、毎年冬になると庭にやって来る野鳥達を見ていて気がついたことも本の中に書かれていた。
それは、野鳥は集団で来る種類もあるが、大体どの種類もペアで来る事が多いのだが、お互いに言葉を交わしているかのように交互にさえずる様子が見られることだった。
けっして同時にピーピー鳴くのではなく、交互に鳴くのだ。
著者やその他の研究者たちが長年鳥を観察した結果、やはり鳥たちはこのようにして会話のキャッチボールをしてコミュニケーションをとっていることが分かったそうだ。
そう思うと、いつも私たちが食べているニワトリだって、同じように感情があるはずだし、牛や豚なども当然のように感情を持っているだろう。
そのようなことを知ってしまうと、お肉を食べることができなくなりそうだが、肉を食べることを長い間の習慣としてきた私たちが、今すぐに肉食を止める事は難しい。
いずれ肉に代わる様な栄養素を持つ食品ができて、動物達の命を奪わずに済む時代がやってくるのかもしれないが、今は命を与えてくれた動物達に感謝して頂かなければいけないと、本を読んでまた強く思う。
ところで、前に「カラス」という題で、カラスの数が減っていることを書いたが、世界中では今カラスだけではない多くの動植物が絶滅の危機に瀕しているそうだ。
特に鳥類は空を飛ぶため、空気汚染の影響を大きく受ける。
また9000種ほどの鳥類の約半数が暮らす熱帯雨林も人間によってどんどん破壊され続けているという。
「鳥や他の動植物の健康や生活を破壊することを通じて、人間は、自分達の健康や環境も破壊している」
そう書かれた本の一文が非常に心に残った。まったくその通りだと思う。

今朝のP太郎。
笑顔はなくどこか寂しげ!?
何を思っているのかな?もの思う鳥でした。。。