遥か昔、まだ短大へ通っていた頃、七泊八日と海外旅行並みの長さで、金沢と能登半島を友だち三人で旅行したことがある。
旅行費用はすべてアルバイトをして貯めたが、宿代節約のために夜行列車を使ったり、移動の全ては公共機関のバスか徒歩で節約した。
限られた資金での貧乏旅行だったので、泊まるのは安い宿と決めて、さらに高そうな食事処はパス。
また8月の本州は想像を超える暑さで、ふらふらになりながら観光名所を周った。
そこまで頑張って周った有名な観光地は、実はあまり記憶に残っていない。
それよりも名前も知らない公園のベンチに座って、三人で笑いながら缶ジュースを飲んだことや、バスの窓から見た何気ない景色、朝市で地元のおばあちゃんとの会話などの方が鮮明に記憶に残っている。
それは今でも思い出すほど、若かりし頃の楽しかった思い出の一つでもある。
ところで、どのようなことにお金を使った時、人は幸福を感じたのかという調査結果がある。
それによると、経験や体験を得られることにお金を使った人が、幸せの思い出にあふれているという結果になったそうだ。
経験や体験にお金を使った満足感は、時が過ぎるにつれて増加していく傾向にあるが、一方でモノにお金を使った場合の幸福感というのは、時間と共に減少して行くことがわかっているそうだ。
たとえば憧れのブランド品をやっと手に入れた時は嬉しいが、それも時間が経つにつれて冷めてくる。
新作が出たりすると、持っていたモノが急に古臭く感じてガッカリする。
でも若い頃の貧乏旅行は、40年経った今でも思い出す度に幸せな気持ちになれる。
ただし人の価値観は色々で、中にはモノを買って、いくら時間が経っても変わらずに幸せがこみ上げてくると言う人もいるだろうから、すべての人に当てはまるものではないのかもしれないが。
ここで思い出したのは、人がこの世に生まれてきて、再びあの世に還って行く人間の一生について。
これは、幸せなお金の使い方にそっくりではないかと思った。
この世に生を受けて、嬉しいことも悲しいことも、きついこともすべてを経験.体験してあの世に還った時、きっと満足感と幸福感でいっぱいになるのではないだろうか。
人が転生をする目的は、魂を磨くためだと言う。
そして、その人生が困難であればあるほど、魂に磨きがかかる。
だとしたら、たとえ経済的に恵まれない人生だったとしても、自分に与えられた人生の時間を十二分に生き切った時には、心から満足できるのではないか。
お金はあった方が便利だが、お金やモノで幸せを感じるのは生きている時のほんの短い時間だけであり、あの世に還る時は、大切なお金もモノも持ってはいけない。
身体一つ、、ではなくて、魂一つで還らなければならない。
自分に与えられた役割と場所で、これからも様々な経験と体験をして、淡々と魂を磨いていけたらと思う。