バージニア労働者

アメリカで働くってどんな感じ?アメリカの企業で働く統計アナリストの労働ブログ。アメリカ生活小話や猫も登場。

あの日から7年目

2008年09月12日 | アメリカ生活


今日は同時多発テロから7年目の記念日で、
会社でも、一番最初の飛行機が世界貿易センターに突入した
8:46分にあわせて黙祷した。

7年目になると、あまり誰もあの日あの時何をしてたかなんて
話す人もいなくなったが、みんなこないだのことみたいに覚えている。



私は今とは違う職場にいて、ちょうど9月11日が誕生日だった
同僚のDawnへ送るカードやら風船なんかを、他の同僚と
準備していた。

9時出勤組みが、どやどやと入ってきてこう言う。

「聞いた?飛行機事故よ。
ワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んだって。」

ワールドトレードセンターといえば、NYのマンハッタンの南側にあった。
どうしてあんなところに、事故とはいえ、大胆にも突っ込んでしまったんだろう。

「おかしいよね。」

と言いながら、みんなでラジオをつけてその成り行きを聞いていた。


そして9時を過ぎたとき。

ラジオで、同じ国際貿易センターの、今度は南側に
また飛行機が突入したと報じられたとき、
もう誰もそれを事故と呼ぶ人はいなかった。

職場どころか、フロア全体がラジオをつけて
その様子を聞き入ってから30分ぐらい経過したところで
私達に追い討ちをかけるようなことが起きた。

別の飛行機がペンタゴンに突入したと、報じられた。

ペンタゴンといえば、うちの会社の家族なり、知人が多数
勤務している。

その日1日、誰も仕事なんてしてなかったと思う。

ある人は泣きながら家族と連絡を取ったり、
ある人は帰っちゃったり、
ある人はただ茫然とラジオを聴いた。

当時ハニバニは、ペンタゴンにこそ勤務はしてなかったものの、
テロの攻撃をいつ受けてもおかしくないところにいたもんだから
すぐに電話をした。

これが繋がらない。携帯も繋がらない。

その日がその日だけあって、悪いことばかり想像してしまう。

1時間ほどたったところで彼から電話があった。
無事だった。

彼の職場でも大変なことになっていると言っていた。

彼の職場どころか、アメリカ全体が、世界中が
大変なことになってたのには違いない。



聞くところによると、あれからちょっとして、
うちの会社では、フルタイムからパート勤務に変わった人、
それから辞めた人が一番多かった年だったと聞いた。

パート勤務に変えた理由で、「家族とすごす時間を増やすため。」
というのが多かったらしい。

それから辞めちゃった人の理由では、
「自分が本当に何がしたいのか考えた結果、
今(この会社で)やってる仕事ではないことに気がついた。」
ということが多かったらしい。

9・11で犠牲になった人のことを思うと、
何のために仕事をしているんだろう、何が一番大切なんだろうと
自分に問いかける人が増えたと聞いた。

朝、「行って来ます」と家を出た人が、もう二度と帰ってこないことが
本当にあるのだと、痛感した出来事だ。

貿易センターでは、あの朝撮影の仕事が入っていたカメラマンが
撮影に使う道具の部品を車に忘れてきて、下に降りていったことが
幸いして、助かった人がいる。

前日にクビになった人がいる。

人の運命のすごさと儚さを感じる。



とにかく

あれ以来、私とハニバニの間では必ず行うようになった事がある。

何があっても、絶対に笑顔で相手を送り出すということだ。

だからケンカをしても次の日に伸ばしてはいけない。

次の瞬間、何が起こるかわからないぶん、
楽しい思い出はたくさん、たくさん、たくさん
あったほうがいいでしょう?

って、お互いに思うから。



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