鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

『イエスの涙:ピーター・シャビエル著』

2009-02-17 20:58:27 | Weblog
風の冷たい一日。

今年は、年の初めから、外国の方の著書の感想ばかりをこのブログに書いている。
・・・と言っても、まだ3冊目だけれども・・・。

土曜日の午後から読み始めて、翌日、日曜日の深夜には、読了してしまった。
随分と読みやすい本で、誰の翻訳だろうと思った。
本のカバーとか、本の前後に、著者と翻訳者の紹介が、普通だと掲載されているものだが、この本は、著者の紹介しか出ていない・・・ということは、著者のピーター・シャビエル氏が、日本語で書かれたものなのか・・・(・・・だから読みやすいのか・・・。素直な日本語だと思うし・・・。)
著者のプロフィールは、日本とアメリカで、カトリックとプロテスタントの神学を学び、現在、ドイツ在住の神学修士とある・・・。
何処の国のご出身(アメリカ人かな?)で、年齢は、おいくつくらいなのだろうか・・・?

日本に在住されていた頃は、きっと京都に住んでいらしたのだろう・・・この『イエスの涙』は、バチカンと京都が舞台だから・・・。

物語のテーマは、明快に描かれている・・・。
問題は、クリスチャンの方には、受け入れがたい大変な事なのだろうとも思う。

キリスト教の重要なアイテム・十字架・・・
それを嫌悪する『十字架嫌悪シンドローム』の報告から物語は、始まる。

バチカンと京都・・・二つの都市で揺れ動く日本人神父・山本成一。
彼の心に突き刺さる棘となっている孤独な女子大生・上野こころ。
この恋人未満の二人の再会が、キリスト教の教義を揺るがす事態へ発展していく。

この二人の男女の邂逅シーンで、私は、かのクリスチャン作家の三浦綾子氏の著書を思い出してしまった・・・ああ、三浦さん的だなと・・・、文章もわかりやすいし。

三浦さんが、生身の人間の原罪と赦しをテーマにしているのに対して、この『イエスの涙』は、イエス・キリストの神になる以前、人間だった頃(・・・こういう表現は、キリスト教義的に間違っているかもしれませんが、お許しを・・・)の心情を、洞察している点で、まるで違う。

『どうして、私の心を誰も理解してくれないのだろう!』
イエスは、そう叫びたかったんだろうな・・・人間としてのイエスは・・・(違うか?)

2000年前の真実を証明できるひとは、存在しない。
でも、洞察することは可能だろう・・・。