日中は、薄日も差して、昨日よりは、少しだけ、暖かい感じだったのだけれど、夕刻から、気温が急降下。
現在(23:15頃)は、氷点下2度。
明日は、冷凍庫の世界・・・という予報。
昨夜は、随分と夜更かしして、眠りについたのが、午前3時少し前で、5時間くらい、ぐっすり眠ったようで、なんとなく気分よく過ごしていた。
けれども、夕刻になって、なんだか、酷く気が塞いでしまった。
また何をするのも面倒で、億劫で・・・だけれど、食事はしないと・・・と思い、豆乳は賞味期限が切れそうだし・・・とか、冷蔵庫の中には、賞味期限が切れそうな食材が多々あって・・・何を作ろうか・・・と思い悩み、いいや、いっそ食べないで、このまま眠ってしまおうか・・・とか、思うけれど。
考えてみれば、コレ迄生きていて、何のために生きているんだか・・・いまだによくわからない。
勤め人をやっていた頃は、一応、やらなければならない仕事(・・・再び、考えてみるに、仕事というよりは、所謂、作業で、必要人員で・・・ってくらい代替えのきく作業に過ぎなかったな・・・とか・・・思う)をやって、毎日、草臥れ果てて、でも、休日にならない限りは、会社に行かなくてはいけないと頑なに信じていたから、やりたくもなく、楽しくもない仕事をやっていた。
楽しんでできることが仕事になるひとは、いいな・・・といつも思う。
だって、私には、やりたいことが(現在)なにひとつない。
母が生きていた頃は、母が喜んで食べてくれる食事を供することが、ひとつの仕事だったような気がする。
あのひとのために、生きていたときもあったけれど。
あのひと(母)って一体なんだったのかな。
あのひと同様、私も、仕事(作業して幾ばくかのカネを貰うため)をして、その仕事をするために、食事をして、身体を養い(いつも不調だ)、仕事中に身体が不調なのは、辛いから、そのための対策をして・・・みたいな感じで、始終、身体に支配されてきたような気がする。
その自分の『主』が身体になってしまっていて、痛い、眠い、怠い、苦しい、病気はイヤだ、ガンは怖い、ボケて認知症になりたくない、歩けないのはイヤ、やりたくないけれどやりたくないけれど、スクワットしよう・・・って、身体の不調が、恐怖に結びついて、その終局は、やはり『死』ぬことなんだろうか。
『魂』がやりたいコト、生前に予定していたことを完了すれば、子供だろうが、老人だろうが・・・つまり年齢を問わず、死ぬ・・・らしい。
死ぬのではなく、死ねるようだ。
だから、『死』は、魂の卒業、魂の解放・・・。だから『死』は、生に勝る喜び・・・。
あのひと(母)は、満足して死ねたのだろうか・・・。
人間の『主』は、魂であって、身体ではないのに、あのひと(母)も、私も身体に支配されてしまった。
身体に使用期限があって、魂の欲求に追い付かず・・・ってコトもあるかもしれないが・・・。
なんて、そんなことばかり考えこんで、再び、負のスパイラルにからめとられた極寒の日。
ほんとうに、なにもかもが、面倒くさい。
きちんと生きていられるひとが、こんなにも羨ましいと思う氷点下の夜。