鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

七草/月命日・二十二回目

2023-01-07 23:16:00 | Weblog

乾いた冬の晴天続く。

母の月命日だけれど、スペア・タイヤのままだと、心もとないので、御寺には来週行こうと思う・・・。

昨年の暮れ(・・・といっても、年が明けて、まだ1週間だけれど)、某・国営放送で、1987年の連続ドラマ『まんが道』全15回を深夜に一挙放送ってことで、録画したものを見ていた。

去年、亡くなられた藤子不二雄さんの若かりし頃を描いた漫画のドラマ化で、当時、母も一緒に(当日放映分の録画を翌日に見るというスタイルだった)見ていて、あの頃のことを思い出したりしていた。

あの頃は、父の間質性肺炎(のちに肺ガンに転移)が診断されて、その直後、脳腫瘍が見つかって、長い療養期に入った頃だったと思うのだけれど、私と母にとっては、とにかく地獄の毎日だった。

 

脳腫瘍の手術をしてからは、認知症のような症状が出て、入退院を繰り返していて、とにかく、父が、入院すると、母と私は、ほっとした・・・。

 

そんな中で、みていたドラマだったような気がする。

今、改めて見てみると、内容は、全く覚えていなくて。

36年前のドラマだから、鬼籍に入られた俳優さんも結構、出演していて、若い!(当然だけれど)なんて思ったり。

ソレを見てた母も既に鬼籍のひととなったけれど。

あの頃のことは、あまり覚えていない。

ただ、毎日、辛かっただけ。

仕事も・・・家に帰るのも・・・。

 

結局のところ、現在でも、私の居場所は、この家にはないのだから、早いとこ、引っ越さねば・・・。

母ももうこの家には、居ないのだし・・・。

(でも、未だに、母が死んだと思えないのだけれど。ただ、母が生きていたときは、少しでも体調が悪いと大騒ぎして、心配したし、このまま死んでしまうのか・・・とかいう心配は、今は無くなったのは、極端な心配性の私にとって、ストレスが一つなくなったのだった。考えてみれば、母の亡くなった年は、私は、後厄の年齢で、精神的に物凄くきつかったけれど、父の加療中のストレスに比べれば、あのときは、まだ母が居たけれど、その母が居なくなってしまったストレスの方が、大きかったような気もする)