乾いた空気の秋の晴天。
朝方の気温は、11度。
先週までは、夏のようだったのに、急に晩秋?というか・・・???
母の月命日。来週は、御墓参りに行こう・・・。
10月は、冷房も暖房も、ほぼ必要の無い月だけれど、やはり、上旬と下旬では、気温差が、激しくて、母が、生存していた頃は、10月も半ばになれば、もう炬燵、ストーブは、必需品だった。
母は、朝食に、よくカステラを食していて、何も食べたくなくても、カステラは、食べられたようだった。
亡くなる2週間くらい前に、宅配の牛乳屋さんから発行されるカタログから、カステラを注文していたけれど、届いたのが亡くなる直前だったので、カステラを食べることができなかった。
死去してから、葬儀迄。
私は、母の注文したカステラを、少しづつ食べた。
葬儀迄は、カステラしか、食べることができなかった。
しっとりとした優しい甘さのカステラだった。
今年の夏は、暑かったから、食欲もなくて・・・それでも、カステラと冷たいミルクで、朝食とした日々。
食欲がなくても、カステラなら、食べられる・・・。
母と同じだった。
昔読んだお菓子のレシピ本で、トライフルというイギリスのケーキが紹介されていて、トライフルは、スポンジケーキとホイップクリーム、フルーツを、重ねて作る・・・ということで、残り物の少し硬くなったカステラなどの再利用にも・・・と書いてあった。
・・・カステラの残り物・・・(拙宅では、残る以前に、食べてしまって、残ったことがない)って言われてもなぁ・・・それに、日本のカステラと、英国のスポンジケーキは、似て非なるものだろうし・・・と思ったりした。
カステラは、ポルトガルだか、スペインだか・・・かのイベリア半島伝来の御菓子だったと思うけれど、本家本元のイベリア半島の御菓子とも、似て非なる?モノなのかもしれない。
あの優しい美味しさは、子供の頃のカステラとは、微妙に違っていて、子供の頃に食べていたのは、パサパサした玉子などケチって、コスト削減したようなカステラとは、言い難いものだったような気がする。
拙宅では、本物のカステラを供されることがなくて、小さなボール状の鈴カステラとか・・・そんなものだった。
少し大きくなって、文明堂のハニー・カステラをいただきたとき、たぶん、コレが、本物のカステラなんだろうな・・・と思った。
もちろん、拙宅では買うことはなくて、頂き物として、数年に1回程度しか、食べることができなかった。
更に成長して、自腹で、カステラを買えるようになったころ、五三焼きカステラ・・・というものの存在を知り、コレが、母の注文していたカステラを同じものだと知った。
五三焼カステラとは、普通のカステラの卵黄の数(或いは量)が、3個に対して、五三焼きは、5個使う・・・らしい。
やはり、長崎のものが美味しいのだろうか・・・。
カステラを食べながら、母を思い出す(カステラを食べなくても、母のコトを思い出しているけれど)。