氷点下3度。乾いた冬晴れ。
小正月。
年明けから2週間。
毎年、同じことを書いてしまうのだけれど、初詣に行ったのが遠い昔のよう・・・。
やはり、寒いから、なんとなく、時間経過の感じ方が違うのかな・・・とか。
祝日が、曜日の並びによって、アチコチ移動するようになって、面倒だったらありゃしない・・・っていうのは、きちんと働いているひとだから、言えることであって、365日休日の私が、文句を言う筋合いもないのだけれども・・・。
昔、1月15日は、成人の日であって、お休みだった。
極寒の・・・氷点下の朝、決まった時間に起きなくていいのは、もう極楽浄土以上の有難さで。
会社勤めは、午前8時から午前9時前後の始業というところも多いだろうから、その時間に間に合うよう、冬は、まだ夜の明けぬうち起きて、支度など初めて、自分ひとりの支度ならまだしも、仕事を持つ主婦の方などは、家事をこなし、家族の面倒をみなくてはならないから、時間なんていくらあっても足りぬことだろう。
そんな冬の・・・まだ夜も明けぬ午前6時に家を出なくてはならない時期があって、明け方の空には、まだ星が凍り付く空気の中で、瞬いていたりすると、やはり、冬の朝は、暖かい布団の中で、ぬくぬくしていたい・・・それが冬の時期の唯一無二の願望でもあった。
退職する前の会社でのルーティン・ワークに、広い工場内の敷地の一番遠くの建屋から、自転車で、書類の回収に行くのは、とても辛かった。
気温はまだ氷点下。雪・雨の日など、もう勘弁して貰いたい・・・。
冬の休日が冷たい雨か雪の日は、これ以上の幸せが何処に在ろうか・・・と思う位で、猫が居た時分には、布団の中で、猫とぬくぬくは、この上もない幸福であった。
そんな極上な幸せを味わえるのが、小正月で、少し長い年末年始休暇のあとの地獄の朝から、一時、開放される休日であった。
母が生きていた頃の小正月のお休みには、陽が上ったお昼前に起きて、
『お昼は、善哉(ぜんざい)でいいかい?』
と母に尋ねると、
『善哉(よきかな)、善哉(よきかな)。小豆大好き。』
と言って笑った。
小豆を茹でて、灯油ストーブで、お餅を焼いて、善哉を拵える。
母が亡くなって、小豆を煮ることもなくなったな・・・。
母の大好きだった小豆粥も久しく作っていない。