完全夏日。
4月には、早すぎるような夏日。
日中、適度な運動をした日の夜は、睡眠が深くなるようで、土曜日(21日)の深夜1時に眠り、5時間後の朝の6時過ぎに目をさましたときは、随分、眠ったように思えて、
もしかすると、朝の6時ではなく、夕刻の6時か・・・と思った。
暫く、訳が分からない寝トボケた状態で、一抹の不安がよぎる。
ああ・・・また1日中眠ってしまったのか・・・という、少しだけ慚愧に近い状態で、また、うとうとして、暫くしてから、アレは、朝の6時で、まだ?5時間しか眠っていなかったことが、わかった(←わかった・・・というのも、ナンかヘンなのだけれど)。
普段は、2時間くらい眠ると目が覚めてしまうような浅い眠りばかりなので。
現在のところ、私は、翌日に、外出する用事がなければ、(たぶん)いつまで、眠っていようが、(あまり)文句も言われなくなって、現在に至っている。
その事にいまだに慣れていなくて、翌日は、ゼッタイに起きなくてはいけないんだ!という、一の種の強迫観念が、いまだに、深く深層心理(なのか、または潜在意識というのだろうか?ふたつとも同じ物なのかどうか?)に刻み込まれているようで、目覚めの瞬間に、どうしていいのか・・・わからなくなって、少しパニック状態に陥ることが多くなった・・・今日は、寝ていていい日だったのかな?ということを、半ば、朦朧とした意識の中で、何度も何度も確認する作業?を無意識にしている。
何も予定の無い日なら、よいのであるが・・・、目覚めの瞬間に、今日、どこかへ、行く予定ってあったんだろうか・・・?と、一瞬、頭の中が、真っ白になって、私は、誰?ここは何処?状態の・・・記憶の飛び方が、半端ないのが、最近である。
数秒から数十秒たってから・・・ああ、そうだった・・・今日は、午後から、外出だった・・・などと思い出すと、それでなくても面倒な外出が、更に面倒になったりする。
勤め人をしていた頃は、平日は、会社へ行かねばならないから、深層心理だとか、潜在意識が、
『何が何でも、朝6時に起きなくては・・・!』
と指令しているので、目覚めの瞬間でも、その日の仕事の予定などは、すぐに思い出した。
極稀に(1年に1度か2度くらい?)、爆熟睡した日の朝には、コレから、会社に行く・・・ということが、思い出せない数秒という空白の時間があるには、あった。
そんなときは、熟睡したのに、眠り足りない気がして、そして、その日への準備が不十分な感じがして、気後れしてしまったりする。
だから、熟睡は、熟睡だけれど、心理的には、起きてからの心の準備が、まるで整っていないような気がする。
覚醒間際に、なにやら、いろいろと今日の段取りをしておかないと、上手く回っていかないように思えた。
そんなことを考えてみると、私の睡眠の浅さは、慢性的で、病んでいるように思えてくる。
日常を全部忘れて、睡眠に没頭できなくなって、久しいのだった。
他のひとは、どうなのかは、わからないけれど、私は、会社(もしくは、学校)へ行くことが、とても嫌だったし、寝起きが悪くて、寝起きは、吐きそうになるから、ソレを回避したいがため、脳なのか、身体なのか、或いは精神なのか・・・ソイツらが、一体化して、深い眠りに陥らないように、邪魔をしいるのかもしれない。
・・・深く眠って、目覚めの一瞬の空白状態のときに、ふと・・・今日は、日曜日で、このまま眠っていてもいいんだ!と分かったときの嬉しさは、かなりの喜びであって、今日は、日曜日で、このまま眠っていてもいいんだ!というのが、カン違いで、やっぱり平日だったと、フェイントを掛けられた日の悲しみは、筆舌に尽くしがたいものがあった。
極上の睡眠とは、目覚め後の現実に左右されず、眠りを眠りとして自然に出来るということなのであろうなぁ・・・と思ったりする。
そして・・・そういう眠りは、永遠に訪れない見果てぬ夢なのだろう。
65歳までも、延長してお勤めなさっている人は、私の周囲では、たった一人のみでした。普通は、「どんなにお金がなくなっても、金輪際勤めというものはしない!!」と宣言しておられます。
特に男性で、延長したいといっている方はいませんね〜 「懲りた」って言って、自営で何かやっておられるか、三昧、遊び放題
でしょうか?
上記の「たった一人、65歳まで延長して勤めている方」は女性でした。この人は、学校が好きでたまらなかったそうですよ。私が、教育用作品を書いているときの担当です。全くもって話が合わず、且つ何事においても理解力のない人でした。
学校好き=会社好きなんでしょうか?
三毛猫さんも、これを機に、お金のことを考えず、好き放題やられることが良いと思います。自分のやりたいことをやるのが一番ではないでしょうか?
私も過去のジャンルをやめて、本当に良かったと思っています。ネットからも遠ざかって、時間の浪費もなくなりました。
自分の好きなことはダメでも納得がいきますが、迷うようなことや、人に無理に勧められたことは、最初はなんとなくやり過ごしていても、腑に落ちないから続きませんわ。
ある意味、わたしも依存を植え付けられていたのかと思います 依存心があるからこそ、お近づきになったわけですしね・・・
依存を絶ってくれたのは、亡き父と友人でした。特に友人は、手厳しい意見でしたから。今になってみて、ありがたみを感じてます。同じ穴のムジナってゆーのは、自分のことだったかもしれないと、穴から抜け出てきて、感じてますわ。
春は、体調を崩しやすいですね。
諫言して下さるお友達、お父上様は、有難いですね。
私は、自分が何をやりたいのかわかりません。
本当は、何もしたくない・・・のかもしれません。
何もしなくてもいいのかもしれませんし、ダメなのかもしれません。
或いは、『何もしないこと』をしたいのかもしれません・・・。
今のところ、『・・・かもしれない。』としか、言えないようです。
今回も、随分、ひどい雑文になってしまいました。ナニが言いたい(書きたいのか)、全く、違う場所に着地してしまいました。
そして、いつものように『オチ』がないので、オチない・・・益体もないことです。
こんなヘンなブログでも、お読みいただけて感謝です。
以前は自律神経の具合が悪そうでしたのに・・・
ところで・・・
「何もやることがない」って、理解できるようになりました。わたくし、例のをやってたとき、「何をやっていいかわからない=やることがない」状況でした。
それでも何かやらないといけないと思って動き回っても、全てが空回りの状況で、これといったしっかりとしたモノがつかめませんでした。
元々、作品を出すために始めたことが、どういうわけか曲がりくねって、別の方向に行ってしまったんですね。
今になって思えば、あのとき空回りして良かったんだと思います。成功してたら・・・後悔してたでしょう。
=人から頼まれてやったことですからね。要するに強制的方向変換というか、そういう感じだったので、自分の中に葛藤があったのでしょうな・・・
やりたいことがない=今の状況を受け入れて自然体でいるうちに、外部状況が変化して、別の地点に押し流されていくのではないでしょうか?
わたくし、を曲がりなりにもやってるときは、「何か準備したほうがいいよ」などと偉そうに言ってましたが、そういうのって、人の人生に口出しすることですよね?
そういう他人に口出しされたモノより、ご自身の自然の声に耳を傾けて、流れ流されていったら、きっと納得できる場所にたどりつけるのではないか?と睨んでおります。
今になって思うんですけれどね、他人の人生に口出することは、怖いことだと
思うんです。うまくいけばいいけど、うまくいかなかったときに、他人をどん底に陥れますよね?
他人ってゆーのは、無責任だからこそ、簡単にアドバイスできるんだと思ってます。三毛猫さん、気持ち的に自立なさっているんじゃないんですか?
何をやっていいかわからないって、心の余裕を感じますよ。下手にあちこちに出向いて、人に人生を託しておられないのは素晴らしいこと。ご自身で考え、ご自身で悩んでおられるからこそ、いいのだと思いますよ
温めるのが正解でしたね。
私には、『やること』も『やるべきことも』、最初から無かったような気がします。
やっても後悔ばかりだし、やらなくても後悔ばかりしています。
だから、どっちでもいいような気がしてきました。
右を選んでも、左を選んでも。
結局、同じことのような気がします。
しろ様のように、最初から、『音楽』を与えられているひとには、迷いがないのだと思います。
生まれたときから与えられている才能なのでしょう。
才能のあるひとは、寄り道をしても、きちんとゴールが決まっているんじゃないでしょうかね?
何かを作らないと終了できないみたいな?
何かのチカラが働くのかも?
私には、そういった才能がないので、何もしなくてもいいんだと思います。
そんなような気がします。
すみません。
よくわからないですね。
いつも、こんな堂々巡りになっております。最近、特に。
三毛猫さんは、きっとお仕事や葛藤を通して、そういうことをご理解されたのではないでしょうか?
私がをやって、唯一良かったことは、未来なんて全然わからないってことでした。未来なんて誰もわからないんだから、今を意識して生きたらいいよって思ったんです。
だから、結果はどうなろうとも、自分の好きなことを楽しんでやって、死ぬまで続けられれば良いなぁてゆー結論に達しました。
でも、三毛猫さんのほうが、1枚も2枚も上手でした。人生って暇つぶしかもしれませんね。
せめてもの暇つぶしに、美味しいものを食べたり、何も考えずにぼーっとする時間を大切にしたいですね
音楽などを作っていらっしゃる方は、インスピレーションというか、第六感というか、そういう能力に恵まれているのだと思います。
占いにもそういうセンスが必要なのでしょうね。
それで、一時的にそちらへ行かれたのかもしれませんね。
いろいろな曲を作って、それが、全く知らないひとが、歌ったり、演奏したり、聴いてくれたり・・・というのは、素晴らしいことだと思います。
音を紡ぐ才能のある人生は、退屈しないのでは???
暇つぶしは、凡人がすれば、よいことなので、音を形にして、(凡人も)楽しませてください。