春にむかっているものの、まだまだ北風は、冷たい。
週末病人なので、横臥したまま日を過ごす。
信じられないくらい、よく眠るけれど、全く、疲労が取れないし、眠ると疲れる・・・極めて、不快な状況なのだけれど・・・。
・・・という訳で、DVDなど見ている。
ヒトが、背負われる美しいシーン二題。韓国ドラマでは、多いのでしょうかね?2作品も最初だけしか見ていないから、違うかも・・・???
『宮廷女官チャングムの誓い』は、医女編まで、視聴した。
無実の罪で、済州島に流刑にされたハン尚宮様が、身体も弱り、チャングムに背負われたまま、亡くなるという悲しくも美しいシーンがある。
囚人達は、冬枯れした荒野を歩いていく。
このストーリーでは、チャングムが、呪いの御札事件で、納屋に閉じ込められ食事も与えられず、ハン尚宮が、衰弱しきったチャングムを背負うシーンと対をなす名シーンだと思っている。
王の閨に、慕い続ける女を背負っていくチョソンは、『王と私』の中(前半の前半)でも、もっとも切なく哀しいシーンだ。
王と初めて閨を共にするソファ(後の廃妃尹氏)は、目隠しをされ、チョソンと知らずに、背負われて、王宮の回廊を行く。
悲しい悲しい春の宵(・・・季節は、失念した)。
おんぶのシーンなら・・・本邦も負けてないですね。
『茨の道なら背負って通る』・・・夜叉が池(泉鏡花)の萩原晃のセリフ。
息絶えた百合を抱いて、後を追う覚悟の自害。
『桜の森の満開の下(坂口安吾)』は、山賊は、都の女を背負って、桜の森を通る。
高飛車で、高慢で、美しい女は、ひとの生首を収集して、遊ぶのが、趣味・・・・
その首を調達するのが、彼女をさらった山賊の仕事となるけれど。
桜の森で、背負った女は、醜悪な老婆の鬼の姿になり、山賊の首を絞つける・・・。
極め付け・・・『夢十夜(夏目漱石)』の第三夜。おぶっためくらの子どもは、見えないのに、背負われた風景を次々に言い当て、やがて、『おまえが俺を殺したのが百年前』と告げる。殺人を思い出したとたん子供は、石の地蔵のように重くなる。
ひとは、ひとを背負って、彼岸に旅立つのだろうか?
私は、腰痛で、もう子供さえも背負えぬ身だけれど・・・。
週末病人なので、横臥したまま日を過ごす。
信じられないくらい、よく眠るけれど、全く、疲労が取れないし、眠ると疲れる・・・極めて、不快な状況なのだけれど・・・。
・・・という訳で、DVDなど見ている。
ヒトが、背負われる美しいシーン二題。韓国ドラマでは、多いのでしょうかね?2作品も最初だけしか見ていないから、違うかも・・・???
『宮廷女官チャングムの誓い』は、医女編まで、視聴した。
無実の罪で、済州島に流刑にされたハン尚宮様が、身体も弱り、チャングムに背負われたまま、亡くなるという悲しくも美しいシーンがある。
囚人達は、冬枯れした荒野を歩いていく。
このストーリーでは、チャングムが、呪いの御札事件で、納屋に閉じ込められ食事も与えられず、ハン尚宮が、衰弱しきったチャングムを背負うシーンと対をなす名シーンだと思っている。
王の閨に、慕い続ける女を背負っていくチョソンは、『王と私』の中(前半の前半)でも、もっとも切なく哀しいシーンだ。
王と初めて閨を共にするソファ(後の廃妃尹氏)は、目隠しをされ、チョソンと知らずに、背負われて、王宮の回廊を行く。
悲しい悲しい春の宵(・・・季節は、失念した)。
おんぶのシーンなら・・・本邦も負けてないですね。
『茨の道なら背負って通る』・・・夜叉が池(泉鏡花)の萩原晃のセリフ。
息絶えた百合を抱いて、後を追う覚悟の自害。
『桜の森の満開の下(坂口安吾)』は、山賊は、都の女を背負って、桜の森を通る。
高飛車で、高慢で、美しい女は、ひとの生首を収集して、遊ぶのが、趣味・・・・
その首を調達するのが、彼女をさらった山賊の仕事となるけれど。
桜の森で、背負った女は、醜悪な老婆の鬼の姿になり、山賊の首を絞つける・・・。
極め付け・・・『夢十夜(夏目漱石)』の第三夜。おぶっためくらの子どもは、見えないのに、背負われた風景を次々に言い当て、やがて、『おまえが俺を殺したのが百年前』と告げる。殺人を思い出したとたん子供は、石の地蔵のように重くなる。
ひとは、ひとを背負って、彼岸に旅立つのだろうか?
私は、腰痛で、もう子供さえも背負えぬ身だけれど・・・。