正午前に、滝のような雨が降ってきて、いよいよ台風接近なのか・・・と思っていたら、午後になると、風も雨も止み、静かなお盆初日となりました。
気温も30度に少し届かず・・・で。
静かなお盆初日。
去年は、母の初盆で、いろいろと不安で、大変で、胃が痛くなるような日々でした。
午後から、小豆を煮て、小倉餡を拵えました。
やはり、猛暑日に、小豆は、炊きたくないので。
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台風の一番古い記憶は、まだ保育所に行く前の・・・たぶん、4歳か5歳頃の・・・。
当時、木造平屋に住んでいて、台風接近・・・とのことで、雨戸は、全部閉めて、少し蒸し暑い中、蝋燭、懐中電灯などを蚊帳の中に持ち込み、迫りくる台風に、少しワクワク?しながら、そして、風の音に脅えて、夜を迎えたのだと思います。
風は、轟音でしたが、やはり子供は、夜になると眠ってしまうもので、翌朝は、台風一過の青空・・・でした。
私は、長靴を履いて、家の側の道路(道路といっても、舗装などされていおらず、小石を敷き詰めただけの)に、できた水溜まりの中で、パシャパシャ遊んでおりました。
それでも、夏というか、秋というか・・・台風の吹き返しの風の中、なんとも、切ない気持ち?になって・・・今ならば、たぶん、もう世界が終わってしまうような・・・崩壊寸前・・・???(経験したことないけど)そんな気持ちだったような・・・
ふと見上げると西の空から雲が流れてきて・・・。
なんなんだろう・・・この感じ。
そして、泥の水溜まりの中から、白い小さな石ころをみつけ、それが、この世の宝石のように思えたりしたのでした。
・・・それから、世界は崩壊することもなくて、母は、去年亡くなったけれども、私は、今・・・ココに居たりするし・・・。
でも、台風・・・というと、この記憶を思い出すのです。
記憶違いとか、記憶の上書き・・・とか、確かめようはありませんが、でも、あのときの『世界の喪失』感は、はっきりと覚えているのです。
もしかすると・・・あのとき、既に、世界は終了していて、ココに居る私は、単なる意識の幻影・・・なのかも・・・。
そう。既に、母もあの『世界の喪失』の中で、消えてしまっていて、去年亡くなった母は、あの台風の夜に、蚊帳の中に居た母ではなく・・・。
・・・台風におけるもっとも遠い記憶の旅の記憶・・・。