鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

モラトリアム (moratorium)③

2012-03-20 22:53:50 | Weblog
春分の日。今年はなかなか、
暖かくならない・・・。


アレコレ、回り道をしてしまった。
『モラトリアム』について、書きたいことが、書けずにいて、回を重ねてここに至るまで、3日もかかってしまった・・・なんのこっちゃ・・・。

純粋にモラトリアムについて書きたかったのである。
私は、卒業と同時に、入院して、病気療養で、数年間社会に出るのが遅れた。
身体的な事情で、モラトリアムをやっていた訳である。

・・・だから、この時期になると、いつも、いつも、思い出してしまう。

私は、自分の進路を決めるべき時期に決めることができなかった。
病気のせいもあったけれど、学業も、生活も、何もかも、全く、上手くいかなかった。
出席日数も足りず、単位もヤバく・・・。

そういう状況だったから、ある意味、普通の人として生きるということを、一時的に免除される免罪符だったのが、入院加療であった。

入院時代は、わりと幸福だった。

手術は、痛かったけれど・・・。

病気なんだから、仕方ない・・・。疾病利得・・・しかも、かなり精神的な・・・。

いつもなにかから、逃れるようにしていた。
結局、何もしたくないのである。
何もしなくても、いいのである。

・・・でも、こんな日は、やがて終わる。

病が癒えれば、学業なり、就職なり・・・何かしなければならないからだ。
それでないと、ヒトとして扱ってはもらえない。

今時のうつ病ほど、ハードルが低くなかった時代だ。
うつ病が、社会的に認められる前の話だから、仕方がない。
間が悪いっちゃ、間が悪いのは、いつものこと。

いまだに、きちんとした社会人になれないのは、このモラトリアムが今でも続いているからなのだ。

こういういい加減なひとの書いてるブログなんだから、真面目に読んじゃあいけません。


モラトリアム (moratorium)②

2012-03-19 22:57:30 | Weblog
良く晴れて、風の強い一日。


モラトリアム・・・と言う意味では、うつ病患者なんかもその一部なんだろうと思う。
自分では、どうにもできない・・・。
但し、生きる意欲(本能)があって、コレをしなければ(働いて、収入を得なければ)、命が危ないってことであれば、たぶん、うつ病になっている暇なんかないのではないだろうか?
うつ病を非難する気は、毛頭ないけれど、私の在籍していた場所は、うつ病患者の病み上がり・・・後のリハビリ・センター化してしまった。
ここに、配属されるひとをみると途端に、モチベーションが下がることは、否めない。
ようするに迷惑極まりないのだ。

フェイド・アウトしたお姉さんの代りに、今週初めから、長の休職から復帰したお兄さんが来た。
見たカンジ・・・典型的なうつ病を思わせる。雰囲気が一目瞭然なのだ。

・・・その仕事につくから、うつ病になるのか・・・仕事が、うつ病を呼ぶのか・・・???

単調な書類の出力とデータの入力。配布。期間を問わず、いつでも休める。
特に、スキルなんてのは、不要だ。
・・・たぶん、そんな風に位置づけられている仕事だ。
単調な毎日に耐えられるだけの精神力さえあれば、この仕事は、ラクでいい。
作業者としてなら、私はコッチの仕事の方がいい。

モラトリアムを休職と位置付けてよいかどうかは、わからないけれど、一応、こんな感じで、使わせていただく。なんとなく、精神的な猶予期間な気がしないでもないからだ。
人生には、そういう時期も、必要なんだろうし。

私は、うつ病でもないし、休職もしていないけれど、別の意味でのモラトリアムだ。
いつまでたっても、真の意味での大人になれない。大人なのに、大人になれないと自覚しているのは、ある意味、かなりの苦痛だったりもする。

モラトリアムを精神的に卒業することが、出来ない私だが、たぶん、リハビリ・センターにくるひとよりは、多少は、マシだと思っている。
私の精神は、鋼のように強いのだけれど、たぶん、どこかに強度の問題があって、いつ折れるかわからない。
要するに、身体的にも、精神面でも完全な?不良品だということが、わかる。
そして、永遠で、そして完全なモラトリアムに突入する日もそう遠くないだろうと思ったりする。

たぶん・・・気が狂うしか、道がなくなるときである。

モラトリアム (moratorium)

2012-03-18 22:53:41 | Weblog
どんよりとした曇り空。午後から雨。


モラトリアム (moratorium):学生など社会に出て一人前の人間となる事を猶予されている状態。

私は、10代の頃から、たぶん、自分は、普通のきちんとしたマトモな社会人には、なれないだろうと思っていて、それは、十数年たった今でも、全く変わっていない。

目的をもって仕事をするということが出来ない。
従来、人生に目的が持てない人間なのだ。
だから仕事なんかできないし、作業者にしかなれない。
未だに、モラトリアム・・・執行猶予?とでもいうか、そんな感じだ。
たぶん、死ぬまで、そうなんだろうと思う。

一応、社会人としては、真面目な???会社員にもなったし・・・と言っても、去年の4月から、好むと好まざるにかかわらず、非正規労働者となったけれども。

・・・いまだに、きちんとした社会人という自覚は、皆無だし、いつ仕事をやめてもいいや・・・くらいに思っているし、それなのに、責任だけは、重い(・・・と勝手に思っている)仕事につくはめになり、貧乏籤を引きっぱなしで、ロクなことがない。

でもさ・・・。
そういうモラトリアム的な運命なんだからさ・・・。
今更、ジタバタしたって始まらない・・・とあの恐怖の3年前から思えれば、こんなに苦しまずに済んだものを・・・。
なまじっか・・・そういう(自分勝手に思っている仕事の責任の重さ)仕事についてしまったから、さあ、大変・・・だったのだ。
そんなこと、思わなきゃいいのに・・・。
どうせ、また不況になれば、いの一番に解雇になるポジションなんだし・・・。
きちんとしたマトモな社会人じゃないから、仕方がない・・・。

私は、今でも、モラトリアムだ。
きちんとした社会人には、死んでもなれないだろうと思う。

人間として、きちんと生活できないし、身体も言うことを聞かないし、眠っていていいなら、たぶん、目が覚めるまで、眠っているだろう。

はやく、(きちんとした、大人のマトモな)人間になりたい・・・(妖怪人間じゃないけどさ)と思ないこともない春の雨の日。

雨の日は、外出しないほうがいい・・・。

2012-03-17 22:52:01 | Weblog
朝から雨の土曜日。

雨の日は、外出しないほうがいい・・・。
そんなことを言っても、仕事のあるひとは、仕事場へ、冠婚葬祭も雨だからと言って、休む訳にはいかないし、どうしてもこの日に買わねばならぬものがあるとか、何が何でも、指定の場所へ移動しなければならない・・・ということもある・・・。

そんなこと以外で・・・。

自分のこころのままに、中止できるなら、雨の降る日は、外出しないほうがいい・・・。

雨だけれど、傘など必要とせず、移動できるなら、外出してもかまわない気がする。
とにかく、傘をさすということを考えただけで、もう外出したくない。
そのうえ、移動には、手ぶらってことは、まずない。
必要なお金(財布)、ハンカチ、携帯電話(←私にはあまり必要なのだけれど)・・・などなど、最低コレだけはないと用をなさない。
コレを服のポケット等に収容しての移動も不可能ではないけれど。

それでも、傘をさしていると、必ず、何か落としたりする(そんなの私だけか・・・)。

電車で、混雑していれば、濡れた傘に困るし、他人の傘で、濡れてしまったり、よいことがない。

・・・だから、中止できることは、中止した方がいい。

外出さえしなければ、雨の日は、素敵だ。

雨音・・・。
それだけで、世の中の全てが、キャンセルされるようで、好きだ。
何もしなくてもいい・・・という免罪符を手に入れたようなもんだ。
休日で、予定のない雨の日は、極楽浄土の蓮のウテナの上に等しい。

好きなだけ眠る・・・本を読む・・・料理をする・・・録画を見る・・・考え事をする・・・。

何をしてもいいのだし、何をしなくてもいい・・・。

・・・だから、雨の日は、外出しないほうがいい・・・。
大気中の放射線が、雨と共に落ちてくるから、濡れるのを避けた方がいい・・・(・・・ような気がする)。


『オレンジとレモン・坂田靖子・著』~爽やかなエロさ・・・。

2012-03-16 22:51:21 | Weblog
穏やかに晴れた金曜日。


坂田靖子さんの作品に出会ったのは、1980年代の後半だった思う。
多分・・・黒目(瞳)を描かなかった最初の少女漫画家さんだったのではないだろうか?

古いところでは、『ベルサイユのバラ』のマリー・ワントワネットを世に送り出した池田理代子さんだとか、もっと古いところでは、『アタックNo.1』の鮎原こずえを描いた浦野千賀子さん(?だったかな)とか、とにかく、少女漫画の主人公達は、瞳に銀河をもっていた。
それも超ド級のキラキラな星だらけの瞳だった。
だから・・・少女漫画の登場人物は、顔の2/3は、瞳で、物語っていた。
それ以外、たぶん、認めてもらえなかったのだろうと思うし、世の中の男性諸兄には、グロテスクに映ったのかもしれないけれど・・・。

いつまでも少女漫画を読んでいたダメな大人の私も、いつまでも少女漫画なんか、読んいるから、人間がダメなんだなよな・・・という自覚のもと、漫画とは、決別(一部を除く)した時代でもあった。
そんな中で、シンプルな描写で、一種、不思議系のどうしても、少女漫画とはある一線を画す・・・或る意味、哲学的な・・・そんな物語の展開をみせる坂田靖子さんに出会った。
一冊か二冊・・・読んだきりで、そのまま、現在に、来てしまったので、出会いは古いけれど、随分、ブランクできてしまった。

この『オレンジとレモン』は、短編集で、テーマは、メンズ・ラブ(ボーイズ・ラブ系とは、どう違うのか、寡聞にして、わからないのだれど)ということらしい。
男性同士の恋愛というか、恋愛でもないのか・・・???やはり、このヘンが、この作家さんの不思議テイスト一杯で、普通とは、ちょっと違うようである。

ちょこっとエロくて、しかも、何故か、爽やか。
お題も『オレンジとレモン』と標榜されているように、柑橘(シトロン)系の爽やかなテイストで、シュワシュワな炭酸水で、柑橘類を食べているようなそんな読後感のある作品集。

ツンデレの王様と妻子ある庭師の紆余曲折の恋(こういう設定を考えつくあたり、普通じゃない)。
扉絵を含めて4ページで完結してしまう摩訶不思議な『召還』、やはり4ページで、登場人物ひとりの『常夜燈』は、かのベケットの『ゴドーを待ちながら』を連想させるし、ハムレットが、ハムレットになるまえの不良王子時代を描いた『鴨池』。修道僧と貴族の息子の物語『それぞれの幸福』など、この少ないページ数で、完全完結してしまえるのは、ひとえに、短編作家としての特出した才能が、物語っている。

爽やかなエロさ・・・を、ご堪能あれ。


『銀漢の賦:葉室麟・著』

2012-03-15 22:59:13 | Weblog
良く晴れた一日。
・・・朝起きるのが大儀で、大儀で・・・。いっそ休んでしまえたら、どんなにラクなことだろう。
休むことに罪悪感のないひとたちが羨ましい今日。


銀漢・・・天の川。
少年時代・・・三人でみた天の川。
時は流れ、ある事件で、絶縁した小弥太と源五、そして、若くして、その命を落すことになる十蔵。

小弥太は、月ヶ瀬藩の名家老・松浦将監となり、一方、日下部源五は、郡方の役人のまま。
運命は、再び、彼らを結びつける。

政には、悪役も必要だし、きれいごとばかりでは、国は富まぬ。
国替の難儀を救済するために、将監と源五は、再び、同じ道を目指す。

幼馴染のひとり・・・十蔵を処刑したのは、将監。十蔵は、一揆の首謀者だった・・・。
老いてから思う・・・。
殺さずに、三人で、力を合わせて、生きていくという方法もあったのではないかと・・・。
若いときは、その方法しか思いつかなかった。
権力を手に入れ、貧しい国を富ますには、この方法しか思いつかなかった。

死の足音を聞きながら、将監は、月ヶ瀬藩にせまる危機回避を目論む。
年月の流れに、明らかになっていく過去の真実。

やはり、二人の出会いは、運命だったのだ。
それは、恋にも似た友情。

将監は、源五に言う。
同じ為政者でも、失政した前家老と私は違う・・・。
私には、源五という親友がいた・・・。命を懸けてくれる友がいたのだ・・・。
何を今更・・・と源五は、素知らぬ顔をする。

銀漢・・・天の川・・・。
そして、頭髪に白いものをいただいた五十路を過ぎた漢(おとこ)のこと・・・。
時を隔てなくては、とうてい辿りつけぬであろう長い長い時間という名の道のり。

端正で、秀麗。
こころゆさぶるような一冊。


月よりも遠くへ・・・名香(めいこう)はどこへ・・・?②

2012-03-14 22:56:36 | Weblog
晴れ。少し春めく・・・。


その後、平日の昼間っから映画館で、時間を潰す・・・そんな大人ではいけないと思い、なんとか就職にこぎつけたのだけれど、暫くは、香水を買うほどの経済的なゆとりがなくて(1ドル=250円~300円前後のレートだったから、輸入品は、ベラボウな値段だった)、すぐ飛んでしまうような・・・液体の99.9%くらいが、エタノールではないだろうか・・・というようなそのへんのドラッグ・ストアで販売しているようなチープなヤツを使っていた。

それから、紆余曲折して、そして、またあのシャネルNo.19を買い求めたのがそれからかなり時間が経ってから。
あのトップの除光液を思わせる揮発性高い青い香りは、健在だったけれど・・・以前とは、どこか違う・・・何故か違う・・・あのときのあの香りではなくなっていたようなのだ。

私の香りの記憶が、改竄されたんだろうか?
それは、シャネルのみに留まらなかった。
No.19は、少し変わったとはいえ、やはりNo.19だった。

問題は、ルミエール。
やっと再会できたのに、あの時の、あの香りとは、似ても似つかない・・・。
似て非なるもの・・・?どうして・・・???
もしかすると、香水自体を間違えて、記憶しているのだろうか?
あの春の日のようなキラキラした香りでは、なくなっていた。
それは、私の香りの記憶が違っているのだろうか・・・???

過去は、戻らない・・・。
過去の記憶は、都合のいいように改竄される・・・。
故に、過去は、美しい・・・。

・・・改竄された過去の記憶・・・?

ところが・・・。
天然資源の枯渇による原材料の高騰、化学合成技術の向上?などにより、過去にあった『名香』と呼ばれる香水のほとんどの処方が、変えられているという実態を知った。
あのゲランでさえ・・・。

過去にすれ違った香りは・・・今はもう・・・ない。
嗅いだ瞬間、懐かしく優しい過去へ連れて行ってくれるあの香りは、もうない・・・。

大好きだったあのひとが、つけていたあの香りも・・・。たぶん、もう出会うこともない。
月より遠くへ・・・どんなに欲しくても、手の届かないところへ行ってしまったようである・・・。


月よりも遠くへ・・・名香(めいこう)はどこへ・・・?

2012-03-13 22:52:24 | Weblog
光は、完全に春なのに、風は真冬な一日。


過去は、戻らない・・・。
過去(の記憶)は、都合のいいように改竄される・・・。
故に、過去は、美しい・・・。

・・・三段論法???で、初めてみましたが・・・。

まだ若かった頃。
職もないから、お金もなく・・・それでも、地元から電車で、約30分くらいの距離に位置する県庁所在地で、昼間っから、映画をみたりしていたかなり極楽な時代(モラトリアム的な・・・)があって、そのとき、希望だけは、腐るほどあった。
そして、その頃、なけなしのお金をはたいて、香水を買った。

シャネルやゲランやクリスチャンディオールといったフランスのブランド化粧品を扱うデパートの1階フロアに足を踏み入れるのは、小娘?だった私には、それは、それは、もう勇気のいることで(・・・小娘ではなくなった今でもひとりでブランド・ショップなんて入れないケド・・・幸いなるかな・・・今は、ネットで、ブランド品も購入できる、ありがた~~~い世の中になっている)、こんな野良犬のような服装では、つまみだされるのではないか・・・という懸念もあったりした。
その頃、シャネルのNo.19のあの青い香りが好きで、好きで、もう好きで・・・。
あの香りをかぐと、もう未来は、幸せしかないみたいな・・・そんなうれしい気分になった。
香水というよりは、アルコールで薄めた3時間前後で、香りが飛んでしまうオー・デ・トワレットだったと思うけれど・・・。
フタをあけると、嬉しくなった。

そんなことが、あって、その後、いろいろな香水を試してみたのだけれど、あの最初に買ったシャネルNo.19に匹敵する香りには、なかなか出会えなかった。
違う香水を買うたびに、いつも、フタを開けると、絶望ばかりしていた。

・・・しばらくして、コレハ・・・!と思う様な香りにであった。
キラキラと光るような爽やかな優しさあって、これさえつけていれば、幸福は、間違いなくやってくる・・・みたいな気分にさせてくれる一瓶だった。
たぶん、当時、発売されたばかりの香水だったと思う。
『ルミエール(光)』という香水だった。

(明日へ続く)


『なぜ女と経営者は占いが好きか:副島隆彦・著』

2012-03-12 22:50:38 | Weblog
強風。真冬のような寒さ。

女子と小人は養い難し・・・。
女子供は、くだらないものが好きだってのは、4000年前の中国で言われ続けてことだし、21世紀の現代で、占いなんてさぁ・・・。

・・・という男性諸兄に物申す・・・
ワタシ、占い師になります・・・と・・・副島氏は、断言した。

だいたいね~~~非科学的っていうけどさ・・・。
じゃあ、今の科学の何処が科学的な訳・・・???限界みえてんじゃん・・・。
ボクの予言の方が、当たるじゃん・・・。
えーっと、4年前のリーマンに、あとなんだっけ・・・いろいろ当てたでしょ?
それについては、そのことが起こる前に、ちゃんと本も出してるさ・・・。

・・・そういう本です。

官僚・一流企業の社員・公務員・・・組織に従って、命令通り働いていれば喰っぱぐれもないし。
だからね・・・あのひとたちはね、飼い犬や飼い猫とおんなじでね。
自分からは、何もしないの・・・。1日3回、飼い主からちゃんとエサ貰えるしさ・・・。
だからね。占いなんて必要ないし、非科学的だって笑うのよ。

でもね・・・。
経営者って違うよ・・・。
先を見通す目がないと、経営なんてできないの。
だから、占いをするの。
先(未来)を知りたいの。予測したいの。

女の人だってそう・・・。
未来しか、みないのよ。過去からは、学習しないからさ。
特に、おんなのひとは、結婚する相手によっては、運命が、左右されるから、占いするの。
男になんか、わかんないの・・・。

そういうわけで、四柱推命・九星占術・・・陰陽五行説、おまけに山伏修行まで、された副島氏。

占いは、未来予測のための最高の科学(・・・この科学という言い方は、お嫌いらしいが・・・)。

女子諸姉・・・さぁ・・・占いをいたしましょう。
手始めに、あなたの四柱推命を、何千円か出して、ソコから始めましょう・・・って本でした。


フェイド・アウトできるのも『運』のうち・・・。

2012-03-08 22:56:36 | Weblog
くもりがち。寒さ復活。


半年前に、2年近い休職のあと、リハビリを兼ねて、復帰した彼女だったけれど、この1カ月、会社へは来ない。

フェイド・アウト・・・。

最初の1週間は、何故か、私のデスクの置き電話に連絡があった。
もう、所属課が違うのに・・・何で・・・?

うつ病という病気は、経済的基盤がないと罹患(←コレでいいのか?)できないと思うのだけれど、一度、診断されれば、コレほど、美味しい疾病利得は、ないんじゃないだろうか?

免罪符を与えられたうつ病患者は、日本国民の義務である勤労の義務から解放されるのだ。
羨ましい・・・。
毎日、毎日、会社へ行くのもイヤな私も、その『免罪符』を入手したいところだ。

本当のうつ病・・・という表現は、ヘンかもしれないけれども、自殺まで試みようとする真正うつ病なれば、仕方ない。
本当の病気なんだろうから・・・。

でも、労働できるのに労働しない・・・しようとしない・・・病気に逃げる・・・ってのは、どうなんだろうか・・・。
会社へきても、1日8時間の労働時間のうち、累計2時間近くは、お手洗いの個室に籠るのもうつ病なのだろうか???
違う道(自分の適性にあった会社)を選択しなおせば、いいのではないだろうか?
トイレに籠るほど、イヤな職場なら・・・。

ちなみに、フェイド・アウトは、演劇用語では、『溶暗』と訳されているようだ。
舞台の照明が、だんだん暗くなって、暗転する・・・この間、役者は、退出したり、舞台装置が、変わったり・・・。
そんな次の場面に行くためのわずかな時間。

そして、このフェイド・アウトできるのも、『運』のうちだと思えてくる。
フェイド・アウトしたくても、この場面(仕事)から逃れられないひとも多い。

フェイド・アウトできるのも『運』のうちである。