1月3日(日) 晴、風寒し
日中は、年賀状の返事を書き(もとい、印刷し)、メールに返信し、今年15歳のみるくの相手をして過ごす。
慌ただしくなったのは、午後5時過ぎにたこ焼き・くれおーるの加西芙子会長(ふこちゃん♪)から、「今から電飾、見せてもらいに行きます! 都合悪いですか?」と電話が入ってからだ。
新型コロナに被った被害は4桁を超えるというのに、現状を嘆きながら近未来を案じながら、ご子息と手を携えて着実な業容発展に取り組んでおられる。
女手ひとつで3人の男の子を育てあげ、なかでも自慢のご長男が、「ある日突然、街中で後ろ向きに倒れて頭がい骨骨折で亡くなったんですよ。合気道五段の息子が、教師をしながらまだ勉強がし足りないと教育大学に通い直したあの子が、教育関係のボランティアをあちらこちらでしていたあの息子が、なんで、42歳の若さで逝くのか? なんぼ考えても納得がいかないの」。
「仕事が好きやから、ね。 こんなご時世なのに良いお話が向こうからやってきてくれるし、ね。 だから、頑張って行けるのよ」
事業の展開を軽やかに語られる一方で、決して消えない心のうちの深い悲しみが、我が家の電飾で少しでも癒されたら、晩秋の1か月をかけて取り付けた苦労も報われる。
いつもいつも忙しい、ふこちゃん♪
今日も名張駅で、ママの車に乗ったとたんに電話が入り、「えっ? 何時に帰るか、って? 私、いま名張に着いたばかりやよ。1時間後になんか帰れません」、「それが成約したら、Aさんの顔が立つの? そうでないのなら、私は反対!」と矢継ぎ早に決断を下す。
その即断即決のスピード感に、驚くばかりだ。
家の周囲に廻らせた大谷石の塀に取り付けた、1万5000球の電飾をゆっくりと動画に収め、「あったかいなぁ」って、しみじみと。
優秀な教育者であったご子息の逝去を、語る無念がひしひしと伝わって、しばし言葉を失う。
お正月の三が日、朝から夕方まで掲揚した国旗を、今日の夕方に取り込み、廊下の奥に仕舞い込んだ。
次は5月3日の子どもの日に掲揚、と我が家のルールに決めている。
【門日(もんび)に国旗を掲揚する】と言う、当たり前のことが珍しがられる時代になった。
27年前、日々夫の菩提を弔って泣いていた余命半年の私に、長男が言ってくれたのだ。
「母さん、七日七日に追善供養をして、父さんが生まれ育って生きて来たように、そんな古いしきたりを守って、僕たちは滅びていく最後の家族になろう」
と。
亡夫の早逝を悔やんで何も手に着かない私に、まずはご先祖供養を大切に、と教えた息子の言葉に導かれ、亡夫の1周忌までを丁寧にし遂げた。
その間はがんの転移・再発の恐怖からも逃れられ、やがてのろのろと立ち直れたのであった。
ふこちゃん♪の深い深い心の底の大きな悲しみが、今夜少しでも癒された!としたら、ほんとうにほんとうに、有難く嬉しい!
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