8月6日(木) 晴
暑い!
コロナ自粛以前は、一日にいくつものことを手掛け、終わらせ、翌日も翌々日も倦むことなく大阪や名古屋に出かけ、昨年も、大阪でがん相談会を開き病友がたとランチ会をし、その足で名張を通り過ぎ、夕方から津市の三重県庁の会議に出席したりしていた。
今はもう、そんなにタイトなスケジュールをこなす氣力が失せたみたい。 さくら、老いましたぁ!
あ、世間さまもゆるゆる穏やかに、自粛、自粛って迫ってこられるし。
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午後、我が家の西北の壁に、「あらら~、空蝉!」 毎年、違った場所で見つかる蝉の抜け殻が、今年は軒に近い上の方まで、よくぞよじ登ったもの、と感心する。
本居宣長が、【もののあはれ】と賞した源氏物語が、生々しく描いた『空蝉』の巻、『関谷』の巻。
蝉の抜け殻を優雅に空蝉(うつせみ)と称し、死生観を託した古人(いにしえびと)の深い思惟に及ばないまでも、我が家にはアブラゼミとクマゼミの抜け殻が毎年1個ずつ見られ、その都度、もののあはれの神髄を、自分なりに垣間見ることになる。
蝉の終齢幼虫が羽化した際に残す抜け殻を空蝉と名付け、現身(うつしみ)を連想して、人生のありようを深く考えた先人に、新型コロナの感染者が「今日も、過去最高!」などと騒ぎ立てるTV報道の、表層的な軽薄な捉え方を、「どのように評価なされますか?」と尋ねてみたい、夏盛ん!
プランターで育てたジーニア(百日草)を、ご仏前にお供えしたくて切り取ったのは、昨日の夕方のことであった。 水揚げのため夜までグラスに挿しておいたら、体調1㌢ほどの蜘蛛が棲み着いたまま、従いてきた。
「明日は戸外に放してやろう」と思うのも、いささか「もののあはれ」ではあるまいか。
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