5月28日(土) 晴
さくらは、今を去る40年も前のことだけれど、サンケイリビング新聞京阪版編集長として、枚方、交野、門真、守口など、京阪電車の沿線取材を楽しんでいた。
実は、関係の皆さまがすでに鬼籍に入られたので、いささか忸怩たる思いもあるけれど、直属の上司と後任の上司との鞘当てのとばっちりを食らった形で、本社から左遷されたのであった。
後任の大阪代表から、京阪本部に転勤する辞令を交付されたおり、彼は大人げなくも、横を向いて辞令を手渡しなされた。
私が「ライバルの部下であった」という、ただそれだけのことで。
この彼は、その後2年間私の仕事ぶりをチェックなされ、「思い違いをして悪かった。 すまないが、僕の秘書になってくれませんか」と腰を折ってくださった。
漫画のような、あの一連の日々を、私は今も時折思い出しては「阿保らし♪」と笑う。
それなりに楽しい取材と紙面製作に打ち込む日々に、まずは枚方・高田(こうだ)のスイス菓子、ドイツレストラン・リシャルツの熱血、霜辻日出夫オーナーシェフと出会い、いま枚方在住のNTT 関西本社で義姉妹の契りを結ぶことになった山中美代子・元営業部長、NTTデータの故木野親之社長の秘蔵っ子秘書でいらした森實律子さん、NTT西日本大阪病院で当時の今岡真義総長先生とさくらのご縁を結んでくださった戸梶直隆・元事務長♪
同じく枚方にお住まいで、いまもさくらと親しくお付き合いをいただく荻野紀子さん(松下電器第四代・谷井昭雄社長の恩師、大西一男先生のご長女)、元関西学院大学教授夫人の八重津すえ子さん。
河内松原から、さくらの糖尿病友だち・岡田光代さん♪
名張からは、お若い病友の雪岡潮枝さんと金つなぎ応援団の堀永不二子さん。
4年ほど前から「枚方会」と称して、もうおひとりマスコミの村瀬氏と、今では10人が集う会となった。
もとい、いまでは、霜辻シェフを含め11人の大所帯の会となった
上司のライバル争いの哀れな犠牲者となった私は、枚方の本部に初出勤した日、「納得できる紙面を10回作ったら、辞めます」と公言し、ほどなく異業種交流会の草分け「船場経済倶楽部」の朝食会で、松下電器の谷井昭雄社長にお会いして、「この人について知りたい、伝えたい」という、物書きの業につかまり、突撃取材をして【納得紙面・その①】をつくり、ほどなく谷井さんのほか、アサヒビールの樋口廣太郎社長、関西経済連合会の宇野収会長(東洋紡会長)を取材して、『風のように 炎のように~時代を創ったMrたち』(船場経済倶楽部出版部刊)を上梓し、サラリーマンでありながらホテル・プラザで400人もの政財界各位にお集まりいただき、そこから京阪本部から足抜け出来なくなり、日々楽しく生きて現在の枚方会に絆を繋ぐこととなった。
去る25日のお昼前、ラジオドラマの収録を終えた帰路。 地下鉄の中で携帯電話に着信があった。
「えっ、松下電器の谷井社長? えっ、えっ?」
「谷井でございます。 (枚方会に)お誘いいただきまして、誠にありがとうございます」。 昔に変わらぬ丁寧な物言いの変わらない方である。
数日前に、紀子さんが参加されるから「あなた様もいかがでしょうか?」とSMS でご招待を差し上げていた、そのお返事が直接ご本人から地下鉄の車中にかかってきたのだ。
驚くのなんの。
携帯を持つ手が震えて、左手で押さえたほどだ。
奥さまが亡くなられて「喪中でありますので、次回は必ず…」と約束してくださって、さくらは大喜び♪
携帯を手に、周囲の乗客に平身低頭した次第である。
紙面の裏側では、女性にまでパワハラが及んでいましたか。
あなたに左遷辞令を渡した上司が、のちに自分の部下に、と望んだとは、まことにあなたの痛快な仕事ぶりが伺えますよ。
正義は勝つ!
少し違うかな?
一度、レストランを訪ねてみます。
枚方にお住まいで、サンケイリビングもリシャルツもご存じだなんて、世間は狭いのですね。
あなた様にも、枚方市はもちろん、京阪沿線のどこかの街ですれ違ったりしていたかもしれませんね。
なんだか、フットワークの軽そうなお方だから。
いつか、偶然、リシャルツでお出会い出来たら、どんなにか楽しいでしょうね。