夜のニュースで、警察の車に乗せられたふてぶてしい男性の大写しに、「古市満朝」の四文字がかぶる。
えっ?
うそ!
サンケイリビング新聞京阪版編集長のころ…、今から20数年余りも前のことだ。
古市満朝くんを取材した。
相撲のまち・大阪府交野市の「古市道場」で、つとに知られた古市兄弟の長兄。
素直で寡黙な相撲少年だった。
当時15歳、中学3年生の彼は、草相撲出身の父が開いて指導するこの道場の花形選手で、大阪府大会で優勝するなど、「交野に古市あり」と将来を嘱望されていた。
父の厳しい指導に素直に従い、稽古熱心。
後輩の指導も丁寧で、取材に対する受け答えも寡黙ながらも訥々と、率直に答えてくれた。
あの日の取材は、「編集長インタビュー」に活かし、読者の皆さんから「古市、大相撲でがんばれ!」と反響を呼んだ。
満朝くんの弟も兄の後を追って角界入りし、阿武松部屋の現役力士でありながら野球賭博に関与し、兄弟ともども不祥事で角界を揺るがす大事件を引き起こす仕儀と相成った。
中学卒業と同時に押尾川部屋に入門した満朝くんの初土俵は、昭和63年の大阪春場所。
同期には若花田、貴花田兄弟、曙、魁皇らがいて、初日の前相撲を取材にも行った。
観客も少ない土俵入りを前に、満朝くんは「(若貴相手に)勝ちに行きます!」と応分の気合いを見せていた。
月日の経過は、残酷である。
あの紅顔の相撲少年が、今日は新聞各紙を賑わす犯罪の容疑者に成り果てた。
後に四股名を改め、押尾川部屋・若隆盛。
毎場所ごとに番付表を送ってくれるので、お相撲好きの亡夫がルーペで確かめて「上がった、上がった」と喜んだりもしていた。
いったい、彼の角界での20年あまりは、何であったのか?
晶子の名歌にならって、ふと口づさむ深夜である。
あぁ 古市よ
きみを啼く
親は 相撲に進ませて 悪事を為せ と教えしや
人を脅して 掠めよと 38(みそやつ)までを育てしや
折しも同期の貴乃花親方は今、理事の要職に就いておられる。
これをしも頂門の一針と受け止め、お若い力で角界を取り巻くよこしまな人心を一層なされるよう、期待して已まない。
それにしても…
えっ?
うそ!
サンケイリビング新聞京阪版編集長のころ…、今から20数年余りも前のことだ。
古市満朝くんを取材した。
相撲のまち・大阪府交野市の「古市道場」で、つとに知られた古市兄弟の長兄。
素直で寡黙な相撲少年だった。
当時15歳、中学3年生の彼は、草相撲出身の父が開いて指導するこの道場の花形選手で、大阪府大会で優勝するなど、「交野に古市あり」と将来を嘱望されていた。
父の厳しい指導に素直に従い、稽古熱心。
後輩の指導も丁寧で、取材に対する受け答えも寡黙ながらも訥々と、率直に答えてくれた。
あの日の取材は、「編集長インタビュー」に活かし、読者の皆さんから「古市、大相撲でがんばれ!」と反響を呼んだ。
満朝くんの弟も兄の後を追って角界入りし、阿武松部屋の現役力士でありながら野球賭博に関与し、兄弟ともども不祥事で角界を揺るがす大事件を引き起こす仕儀と相成った。
中学卒業と同時に押尾川部屋に入門した満朝くんの初土俵は、昭和63年の大阪春場所。
同期には若花田、貴花田兄弟、曙、魁皇らがいて、初日の前相撲を取材にも行った。
観客も少ない土俵入りを前に、満朝くんは「(若貴相手に)勝ちに行きます!」と応分の気合いを見せていた。
月日の経過は、残酷である。
あの紅顔の相撲少年が、今日は新聞各紙を賑わす犯罪の容疑者に成り果てた。
後に四股名を改め、押尾川部屋・若隆盛。
毎場所ごとに番付表を送ってくれるので、お相撲好きの亡夫がルーペで確かめて「上がった、上がった」と喜んだりもしていた。
いったい、彼の角界での20年あまりは、何であったのか?
晶子の名歌にならって、ふと口づさむ深夜である。
あぁ 古市よ
きみを啼く
親は 相撲に進ませて 悪事を為せ と教えしや
人を脅して 掠めよと 38(みそやつ)までを育てしや
折しも同期の貴乃花親方は今、理事の要職に就いておられる。
これをしも頂門の一針と受け止め、お若い力で角界を取り巻くよこしまな人心を一層なされるよう、期待して已まない。
それにしても…
貴乃花理事の改革を皆で応援しよう。
そんなきもちになりましたよ。
今日は、お嬢さんとデートでしょうか。
楽しいことは、心をうきうきわくわくさせ、心の免疫賦活効果をもたらします。
ところで、まだ確定はされていませんけれど、古市兄弟をはじめ大嶽、琴光喜ら周辺で関わった方々は皆同罪と断じ、環境の大掃除が急務でしょうね。
ブログ読者の方々から、「近い将来に、貴乃花理事長もアリかも?」と改革を望む直メも数本頂戴していますが、年功序列、古い体質。
…なかなか難しいでしょうね。
私が応援している特別な燃焼食品を差し入れしている若駿河は三段目で26才で先々むずかしいでしょう^^;古市も小柄だったが。
今回のことで、阿武松の名前を知りました。
そうですか、応援しておられたのね。
お相撲ファンの期待を裏切った罪は重いですよね。
マスコミさんも、琴光喜【関】なんて、言ってる場合じゃないと思うけれど…
小生、この度、胃がんの2期が発覚、ネット検索でこのサイトにお邪魔し、隅々まで丹念に読んでいます。
明るく強く前向きに。
きっと良くなる、必ず良くなる。
心に響く良い言葉です。
交野は、桜が美しく、大宮人の桜狩で有名な町ですね。
現役の記者の頃、古市道場を取材し満朝くんの真剣な相撲道への精進ぶりを垣間見ましたので、事件報道には驚きました。
今は、料理人として頑張っておられるとか、先のりのんさまのカキコにも救われました。
あなたさまは、胃がん2期の由、胃がんは治癒率が高いですから、よほどのことがない限り天寿を全うなされることでしょう!
ご一緒に、頑張りましょうね。
ご意見のとおり、志を抱いて角界に飛び込んだ若い力士さんが、途中でこのような結果になるのは、本当に切ないです。
刑期を終えた古市くんは、その後『ヤクザより悪い男たち』(宝島社)を出版。大相撲の闇を垣間見せてくれましたが。
あの寡黙で律義な少年が!、の思いは今も消えませんね。
古市兄弟の「その後 (りのん)」を教えてくださった、りのんさま。
毎日慌ただしく生き、病友がたの問いかけにひたすらお答えする日々に取り紛れ、あなた様からの貴重なコメントを読み過ごしておりました。
今頃の返信を何卒お許しくださいませ。
ありがとうございます、今も、古市君兄弟のその後の正しい生き方を応援するさくら♪です。
いただいたコメの最後のくだり、しっかりした奥様でしたが、そういうことだったのですね。
10年もたってから、