11月22日(金) 晴
電飾の飾りつけが遅々として進まないものだから、午前中に予定していた名張市の高齢者検診を延期していただき、カラオケ教室をパスし、それなのに東京から元木伸一監督が来られるのに併せて、西村聡さん(元テレビ大阪報道デスクほか)とさくら♪は、大阪・グランヴィアホテルのラウンジでお出会いすることになった。
先日電話で概略をご相談してあったアクセプトの若江真紀社長、アシスタントの樋口忠明社長も参加してくださって、とても前向きなご意見をくださった。
熱意と心意気と元木監督作成の『金つなぎの企画書』だけしか無いのに、本当に有難いことであった。
今後どのような進捗を見るのか、雲をつかむようなお話だけれど、第一歩として、西村さんに以前からお願いしていた「私の終末時には生き様をビデオに残してくださいね」の約束を、金つなぎの会創設30周年を迎える来年4月までに20分のドキュメンタリ―にまとめていただくお願いを快諾していただいた。
興奮冷めやらず、体中の血がふつふつと沸き立つような按配で、夜の名張の街を、寒さも感じないままバイクを駆った。
帰宅して、今一番心にかかっている抗がん闘病中のNさんのことを、旧知の毎日新聞・久木田照子記者に聞いていただき、ご意見をいただいたりして午後11時前まで。
今年は金つなぎの強力な応援団でいてくださった、赤目温泉・上田屋さんの上田勝社長が逝かれ、 NTTで各支店長を歴任された小泉勲さんも黄泉の国へ向かわれた。
金つなぎ・名古屋の元締めで居てくださるM代先生からのご長男の訃報は、涙なくして読めなかった。
「何か、良い情報があれば…」と訊ねられ、「あぁ、それも試しました」「そのことも存じています」と返信をいただく度に自分の無力を思い知り、若年性がんの医療立ち遅れに思いを致し、ご長男への申し訳の無さに、心を掻きむしりたい思いに苛まれたのであった。
今年の『金つなぎ 祈りの電飾』は、ひとしお哀惜の思いとともに点灯させていただく。
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