3月31日(金) 晴
時間があれば、断捨離をしている。
100歳で大往生を遂げられた夫の祖母上が、私の二人の息子のために、金襴の端裂で百徳おくるみを作ってくださった。
今から60年も前のことだ。
開かずの押し入れの、ブリキの缶の中で虫食いの跡もなく、昨日作ってくださったような新しさ、きらびやかさで、ところどころに「御守」の金襴地が縫い込められている。
古来、子どもの幸せを願って作られた百徳着物は、「百人(=たくさん)の人から集めた端裂で子どもが息災に育つように」との願いが込められていたと聞く。
端裂の有効利用と子どもを思う優しい気持ちに溢れた百徳(日本流パッチワークキルト)と、児童虐待の言葉に象徴されるささくれた現代の品々との、大きな隔たりの原因を考えたりもしている。
なので、作品に感嘆の声を上げはしたものの、心がうつうつと楽しまない。
(「いつまでも、うつを気取るんじゃねぇ」と今日観たテレビ番組のチコちゃんに叱られるよ!)
「子どもを産んでも育てられる環境に無い」と、今のお若い方はおっしゃるけれど、どのような環境にあろうとも、母は工夫を凝らし子どもの幸せを願って生きたものです。
祖母上のお名前は、広野小夏。
色白の美人で、口八丁手八丁、ご自分の嫁(さくら♪のお姑さま)いびりは相当なものであった、と聞いたけれど、私には優しくおおらかに接してくださった。
60年ぶりに日の目を見た百徳おくるみを大切に愛おしみ、近い将来ひ孫を抱かせてもらうときには、このおくるみで優しく抱いてやろう。
「その日まで、生きる!」と決めている。
夜は、ご近所さんとの三人会。
十徳健康茶、アップルティ、コーヒーで、直子さん差し入れのワッフルをいただく。
女の夜咄は、岸田総理の外交評価に始まり、4月から押し寄せる日配品の値上がり、すでに始まっているガソリンの価格など、尽きることが無い。
でも私、ほんとうは千葉の由紀子さんから電話をもらっているし、新潟の優子さんからは重い転移がんを病んでなお、お元気に手づくりオレンジピールを頂戴している。 そのお礼と激励を「すぐにも!」と、心逸らせているのに、日々取り紛れ、気が付くと深夜になっている。
ほかにも、三重の明子さんに切手をいただいたお礼を、大阪の昭輝子さんには「貴重なピンクの封筒が見つかりました。機関紙『金つなぎNews』を、あなたから頂戴した、あの美しく力強い金つなぎ封筒でお届けし、全国の病友がたに喜んでいただきますね!」と連絡しなければ。
結局、本日は山梨・笛吹の皆さまに電話をして、「今年の花追い旅はやむなく取りやめにいたします」と、連絡を済ませた。
倉嶋清次・元笛吹市長、佐藤さとえさん、岩内一郎さん、松田みっちゃん、宮川明史さん、埼玉の恭子さん。
来年は必ず!
こんな一日で、結局『金つなぎNews』には、手が付けられず。
いやまったく。 逃げている。
9日には、機関紙の発送ボランティアに皆々さまが名乗りを上げてくださっているというのに、私ひとりが、なにゆえ逃げるのか。
しっかりしろよ、さくら♪
逃げるんじゃねぇ‼
昔の厳しい時代を強く生き抜かれたご祖母様の心意気を感じさせられました。
さくらさん、お互いに(いや、誰もが)また一つ齢を重ねますが、私はいつも「老いは年齢ではない・・」を思いながら目標(予定)の125歳まで日々小さな夢や希望をもって生きています。
生きたいのではなく「生きるのだ!」と。
どちらかがさらなる記録を達成するつもりでお互いにゆっくり頑張りましょう。
「きっとできる」「必ずできる」と。
さくらもその一人で、いつも有難さを享受しています。
義祖母さまは、美しいお婆さんで美丈夫・女丈夫のエピソードに事欠かない人でした。
80歳を過ぎたある日、柵のない川に乳母車とともに1㍍あまり落下。 皆さんで救い上げて病院に連れて行こうとしたら、「歳は取っても武士の妻、なんのこれしき」と言って、乳母車を押して帰って行かれたと。
義祖母は、100歳を過ぎて、逝かれました。あなた様は125歳まで?
私は、明日逝くことになっても悔いのないよう、今日を精一杯生きる、と決めています。
その先に、125歳が?
どうぞ、連れて行ってくださいませ。