4月9日(月)晴
朝から暖かい。
桜が咲きそろった今は、少し冷えてくれる方が花が長持ちしていいのに、と勝手なことを思う。
午前中、久しぶりに家事を楽しみ、少し庭に出て野菜畑の世話をし、午後は久しぶりに踊りのお稽古に行く。
夕方にモンパクトルのロールケーキを買いに行ったら、「今日は高校の入学式で、売り切れちゃったんですよ」と女主人がすまなそうに言われる。
明日、大阪の「かあさんのご実家にお土産にするね♪」と約束したのに、…銀士朗とげんかいが残念がることでしょうね。m(_ _)m
そうして、短い一日が終わった。
それから、「季刊・金つなぎ」34号を編集する長い夜が始まった。
わぉっ!
◆
昨日、名古屋駅で金つなぎのお仲間と出会って暫くしたら、初老の紳士がこちらを見ながら、行きつ戻りつしておられる。
「はて、どこかでお出会いしたことがあるような?」
「あのぉ、広野さんでしょうか? …梅川です」
「えっ、健ちゃん?」
今は亡き、長姉の妙子ねえさんの終生の恋人であった、故・梅川文男さん(元・三重県松阪市長)のご次男・健士さんだった。
数十年ぶりに妙子ねえさんの葬儀でお目にかかり、少し言葉を交わして以来、5年ぶりになる。
皆さんに、「亡くなった姉の恋人のご子息です」と紹介したら、玉ちゃんが、「えっ? 恋人はTさんじゃなかった?」って。
亡姉は、恋多き人だった。
思いこんだら命がけ、相手の方に対してはとても【尽くし型】の優しいひとで、生涯に特攻隊のひとやT氏ら、さくらが知っているだけでも、5指に余る恋人を持った。
そのうちで一番、姉が尽くし支え、惚れ込んで共に暮らしたのが、梅川さんであった。
太平洋戦争(第二次世界大戦)後の非合法活動を通じ、世の人の幸せを願って生きた孤高の文人政治家である。
佐野学や江田三郎ら著名な共産・社会主義者らが、獄中のの拷問などに耐えかねて次々と転向していくなかで、一人梅川さんは非転向を貫いた孤高のひと、何ものにも屈しない【鉄の心】を持ちながら、一方で詩文を良くする文人政治家であった。
妙子ねえさんと一緒に行った奈良への旅で、「大和路は 白壁多し 白壁に 秋の日映えて 旅ゆたかなり」と詠み、折々に色紙にしたためては、旅の余情を懐かしんでおられた。素面のときは少し気難しいけれど、
少し気難しいけれど
叙景歌でありながら、上等の抒情歌でもある。
私はこの姉を、尊敬してはいるけれど、いろんな理由で好きではない。
けれども、この歌の醸す情景とその頃の二人の日々を思うと、女としてまことに羨ましくもある。
今からまだ、機関紙の原稿を書かなければならないので、梅川文男と森妙子の在りし日に言及する時間がない。
梅川さんについては下記のWikipediaを紹介して、今夜はここまでにしておきたい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E5%B7%9D%E6%96%87%E7%94%B7
朝から暖かい。
桜が咲きそろった今は、少し冷えてくれる方が花が長持ちしていいのに、と勝手なことを思う。
午前中、久しぶりに家事を楽しみ、少し庭に出て野菜畑の世話をし、午後は久しぶりに踊りのお稽古に行く。
夕方にモンパクトルのロールケーキを買いに行ったら、「今日は高校の入学式で、売り切れちゃったんですよ」と女主人がすまなそうに言われる。
明日、大阪の「かあさんのご実家にお土産にするね♪」と約束したのに、…銀士朗とげんかいが残念がることでしょうね。m(_ _)m
そうして、短い一日が終わった。
それから、「季刊・金つなぎ」34号を編集する長い夜が始まった。
わぉっ!
◆
昨日、名古屋駅で金つなぎのお仲間と出会って暫くしたら、初老の紳士がこちらを見ながら、行きつ戻りつしておられる。
「はて、どこかでお出会いしたことがあるような?」
「あのぉ、広野さんでしょうか? …梅川です」
「えっ、健ちゃん?」
今は亡き、長姉の妙子ねえさんの終生の恋人であった、故・梅川文男さん(元・三重県松阪市長)のご次男・健士さんだった。
数十年ぶりに妙子ねえさんの葬儀でお目にかかり、少し言葉を交わして以来、5年ぶりになる。
皆さんに、「亡くなった姉の恋人のご子息です」と紹介したら、玉ちゃんが、「えっ? 恋人はTさんじゃなかった?」って。
亡姉は、恋多き人だった。
思いこんだら命がけ、相手の方に対してはとても【尽くし型】の優しいひとで、生涯に特攻隊のひとやT氏ら、さくらが知っているだけでも、5指に余る恋人を持った。
そのうちで一番、姉が尽くし支え、惚れ込んで共に暮らしたのが、梅川さんであった。
太平洋戦争(第二次世界大戦)後の非合法活動を通じ、世の人の幸せを願って生きた孤高の文人政治家である。
佐野学や江田三郎ら著名な共産・社会主義者らが、獄中のの拷問などに耐えかねて次々と転向していくなかで、一人梅川さんは非転向を貫いた孤高のひと、何ものにも屈しない【鉄の心】を持ちながら、一方で詩文を良くする文人政治家であった。
妙子ねえさんと一緒に行った奈良への旅で、「大和路は 白壁多し 白壁に 秋の日映えて 旅ゆたかなり」と詠み、折々に色紙にしたためては、旅の余情を懐かしんでおられた。素面のときは少し気難しいけれど、
少し気難しいけれど
叙景歌でありながら、上等の抒情歌でもある。
私はこの姉を、尊敬してはいるけれど、いろんな理由で好きではない。
けれども、この歌の醸す情景とその頃の二人の日々を思うと、女としてまことに羨ましくもある。
今からまだ、機関紙の原稿を書かなければならないので、梅川文男と森妙子の在りし日に言及する時間がない。
梅川さんについては下記のWikipediaを紹介して、今夜はここまでにしておきたい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E5%B7%9D%E6%96%87%E7%94%B7
あちらこちらから桜便りが来ますがこちらはまだまだです。
桜より一足早い春の使者『福寿草』が咲き始めました。
また何時の日か観桜会に参加出来たらいいなと思っています。
森妙さんには、生前よく支えていただきました。森薬局も懐かしいです。
すべては、歴史の中に生きていますね。