友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

新人議員への期待

2007年05月21日 20時01分24秒 | Weblog
 瀬戸市の友人を訪ねた。
 万博公園の方から瀬戸市へ入ったが、愛知丘陵は新緑が綺麗だった。グリーンロードはかつてのような混雑はなかった。万博会場は公園になっているはずだが、今日は休園日なのか、車の出入りがなく静かだ。海上の森はきっと美しさを増しているだろうけれど、立ち寄るだけの時間がないことが残念だ。

 海上の森を最初に訪れたのは、国会議員の秘書をしていた時だ。里山の風情がそのまま残っている田園風景や大正池を小さくしたような池があり、こんな身近なところにホッとするような場所があることに感激した。カミさんと二人で、森を散策したこともある。あの風景が今はどうなっているのか気になった。

 日本はどこへ行っても、開発が行われていて、よほど山奥でない限り、たくさんの人々が生活している。新しい家が建ち、新しい道路ができている。ヨーロッパはイタリアとスペインしか知らないし、それもごくわずかな点しか見ていないが、開発とは無縁なのかと思うほど、昔のままのたたずまいが続いているように感じた。せかせかと歩く必要もなく、時間はゆっくりと動いていると思った。

 友人とは自治ネットの仲間だが、二人だけで話す機会は今日が初めてだった。彼は12年間議員を務め、今回の選挙では後継者を応援した。市民運動家である彼には「後継」するものがあり、「後継者」が議員として力量は未知数だとしても、市民運動と議員活動とが相乗的に展開していくことに変わりないようだ。それでも新人議員を彼の代わりにしようとは思っていないようで、「彼は彼ですから」と言う。政党でもない私たちは、後継者を育てることは難しいし、これは私の考えだが、縛られることも縛ることもすべきではない。

 議員を何年も務めると、だんだん要領がわかってくる。初心のような情熱が薄れ、議員としてのテクニックを覚えてくるようになる。確かに新人議員よりも3期、4期と務めた議員の方が「力」がある。当局にとっては、ベテランと言われる無党派・市民派議員は怖い存在だ。保守系議員が賛成の挙手をするだけの存在だから、無党派・市民派議員の活動が注目されるだけのことだ。無党派・市民派議員でも、保守系議員と同じことをしているなら、何も怖い存在ではない。

 行政は何事もなく進行することを第一にしてしまっている。だから前例主義になってしまう。市民のために働いているという意識が薄れ、「批判」を受けないことにやたらと気を配る。予算は誰のお金なのか、誰のために予算を執行するのか、執行のされ方は公平か、議員は行政とそこで論議できる「力量」を持たなくてはならない。私たちの『無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク』の活動目標はここにある。新人議員にぜひ紹介し、参加してくれるようにとお願いした。
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