友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

晩秋

2007年05月22日 23時59分26秒 | Weblog
 昨夜は『晩秋』を、今夜は『母と娘』をBSテレビの衛星映画劇場で観た。
2作とも素晴らしい映画だった。昨夜の『晩秋』はアメリカ映画で、舞台はカリフォルニアだった。題名からも想像がつくように、人生の終わりをテーマにしていた。結論から言うと、アメリカ人の中にもこういうテーマを真面目に扱う人がいるのだと感心した。アメリカ映画といえば、ハッピーエンドというのが相場だ。もちろんこの映画だってある意味ではハッピーエンドかもしれないが、よくまあーこんな思いテーマに取り組んだと思った。

 年老いた母親が心臓発作で倒れる。息子が両親の元に戻る。多分、息子は母親が回復すれば、自分もまた職場に復帰できると軽く考えていたと想像する。ところが、父親の様子がおかしい。おかしいばかりか、ガンなれば死ぬしかないとおびえる。そして本当にガンとわかり、一変する。父親の看病のために、職を捨て付き添う。別人のようになった父親を自宅に連れて帰るが、やはり手に負えなくて病院に戻る。そこで良い医師にめぐり合う。父親は奇跡的に回復し、家に戻って普通の生活を始める。

 やはりハッピーエンドじゃーないかと思った。ところがここからが違う。これまでが序曲で、いよいよここから『晩秋』が始まる。息子は会社を辞めて、両親と暮らす。父親は元気になり、近所の子どもたちの面倒を見たり、農夫に憧れたり、海岸に行って踊ろうと妻を誘ったりする。日本人の隣人を理解するためには日本の食べ物や習慣を理解しようと、日本食のパーティーをする。家族がみんな、父親のそんな姿を大事に思い、付き合うのだが、突然にも母親が「もうたくさん」と怒り出す。

 母親は「あの人(父親のこと)はおかしくなっている。19歳に戻ってしまい、一生をサラリーマンで過ごしてきたのに、農場をやるとか、夢の中にいる。しつこくセックスを迫る。どうかしてしている。全く別の人になってしまった」と言って父親をののしる。息子は「親父は自分が本当にしたかったことをしようとしているのだ」と母親を叱る。

 父親はしっかり者の妻に何もかも任せ、家族のためにひたすら働いてきた。妻はそれで満足だった。息子は家庭を顧みない父親に不満だったが、男は働いて稼いでくる、できれば父親のような労働者ではなく、背広を着てネクタイを締めた経営者であることこそが男の誇りと信じて、家庭の崩壊を招いても働いてきた。その息子が、年老いた両親を目の前に見て、職を捨てて両親のそばにいることを選択する。
おかしくなっていく祖父を見ている孫息子、母親と離婚してまでも仕事を選んだ身勝手な父親と、二人が最後の別れの場面で、「許す心を持て」と語る。そしてまた、死んでいく父親が息子に語るのは、大リーグの戦いというのも少し変じゃーないかとおもうけれど、ここで努力すれば報われるアメリカンドリームだ。やはりハッピーエンドかな。
時間切れだ。
コメント
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