友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

青年は成熟している

2007年05月07日 19時45分52秒 | Weblog
 昨日の『サンデーモーニング』で、日本の青年の意識が話題になっていた。その前の時間、午前7時からの東海テレビ『ボクらの時代』でも、瀬戸内寂聴さんと美輪明宏さんが日本の若者について盛んに論じていた。瀬戸内さんにしても美輪さんにしてもそんじょそこらの大人とは資質が違うとズーと思っていたが、普通の年寄りの言い草なのでガッカリした。今の若者はみんな一緒の教育を受けている。運動会では1等もなければビリもない。そんなことを言っていた自民党の国会議員がいたが、お二人の口からそんな言葉が出るとは思わなかった。

 私はそんな運動会を見たことがないが、仮にもそのような運動会が行われたとしても、そのことをもって横一列の教育をしていると言うのは大きな間違いだ。教師は教え子をできるだけ平等に扱おうとする。成績の良い子と悪い子で差をつけるような接し方はしない。それが教師の基本的な姿勢だ。ところが子どもたちは結果としては大いに選別される。教育され、その結果を知ろうとすれば、試験が行われ当然なことだけれども順位が生まれる。現在の子どもたちは、あるいは青年たちは、もっと言えば私たちも、小学校に入った時から成績で評価(選別)されてきた。

 瀬戸内さんも美輪さんも、「若者たちに個性がない」と言う。みんな同じ格好をしたがるし、同じものを欲しがると批判する。そんなことはいつの時代だって同じだ。それを「今の」という言い方をしてしまうのは、年寄りになってしまったということだ。『サンデーモーニング』では、青年に対するアンケート調査が話題になった。青年たちに覇気がない、やる前から諦めている、やる意欲がない、などと分析されていた。尊敬する人に両親や現在活躍している人をあげる青年が少なくなっているそうだ。1980年を堺に、「リーダーに尊敬する人がいなくなった。これはやはり問題ですよ」とも。大人たちの不祥事が相次ぎ、尊敬できる人が見当たらないのも無理はない。

 アンケートに「偉くなりたいですか?」という質問があり、その回答がよその国の若者に比べて低いことが指摘されていた。それに対して、法政大学の田中優子さんが「偉くなりたいかと聞かれれば、私もなりたくないと答えますよ。設問そのものがおかしいですよ」と批判していた。どんな質問が用意されていたのか私にはわからないが、質問の仕方で答えは変ってしまう。学力が落ちたという問題でも、どのような調査をしたかでその結果は違う。そもそも学力が落ちることをどうしてそんなに心配するのか、私にはわからない。

 子どもたちは社会人になるまで、選別を繰り返し受けてきている。自分の成績ならどの程度の学校に行くことができるか、どの程度の生活になるのかもわかっている。努力をすれば報われるだろうけれど、その可能性の大きさも知っている。それならば無理して努力する必要がどこにあるのか。「夢を持っていない」と批判する。確かに個人の夢はそれほど大きくないだろう。しかしそれは未来社会について何も考えていないということではない。年寄りたちから見れば、「覇気のない若者」かもしれないが、そんな社会を作り出したのは年寄りたちで、その中で若者たちは生きていかなくてはならない。年寄りたちよりも彼らは冷静にこの事態を見ているのだと思う。
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