友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

若き数学者とアメリカ

2007年05月31日 22時22分10秒 | Weblog
 今日は一日中強い風が吹いている。ルーフガーデンでの作業ができないから、こんな日は机に向かうほか無い。机に向かっていると眠気が襲ってくる。そんな時は何も遠慮することはないと思い、横になって本を読む。本など読まなければそのまますやすやと眠りに落ちるのに、逆に眠気が吹っ飛んでしまうことがある。だから眠りたい時は、なるべく難しそうな本がいい。ごちゃごちゃ考えているうちに眠りについてしまうから。

 失敗だったのは藤原正彦さんの『若き数学者のアメリカ』を読んだ時だ。藤原正彦さんは『国家の品格』の著者であることは知っていたが、そんな本を書くような人はかなり年上の社会学者か憲法学者だろう。あるいは哲学者か文学者かもしれない。そんな程度に思っていた。書店で何気なく文庫本を見ていたら、帯に「『国家の品格』の藤原正彦が若き日の苦悩を描く、感動の米国武者修行!」とあるのを発見した。表紙のカバーの裏側に、藤原正彦さんの写真とプロフィールが載っている。「1943年旧満州新京生まれ。故・新田次郎と藤原ていの次男」とあった。

 新田次郎の作品は読んだことは無いが確か、『八甲田山死の彷徨』とか『武田信玄』を書いていた。新田文学賞という賞もあったように思う。藤原ていの名は聞いたことがある程度の記憶しかない。何よりも私の目を釘付けにしたのは、「1943年生まれ」だった。エツ!私の1歳上か!それで読んでみたいと思った。『国家の品格』もまだ読んでいなかったから、まずは著者がどんな人なのかと興味が湧いた。

 『若き数学者のアメリカ』は1977年(昭和52年)11月に新潮社から刊行されているが、書かれているのは1972年の夏に、アメリカのミシガン大学に研究員として招かれて出発するところから始まる。書き出しは「夜の天井は星屑であり、下には不動の暗黒があった」とずいぶん文学的な表現だが、読みやすい文章だ。29歳の「若き数学者」は「殴り込みをかける、とでも言うような荒っぽい考えが心の底に台頭して来るのを感じた。(略)このような感情の変化は日本を出発する前には予想もしなかったものだった」「(略)この自意識は、心の奥に、しかも思ったより深い部分にまで浸透し、その後、1年間ほど、そこに居座り続けた」。

 友人の大学教授は物理学者だが、彼もまたこんな思いを抱いてアメリカで研究をしていたのかと想像しながら読み進んだ。友人の大学教授が単身赴任でロッキー山脈の中の小さな学園都市プルマンにいるのを、クリスマスとお正月を一人で過ごさせるのはかわいそうだというので、彼の夫人とその子と私達夫婦とで訪ねたことがあった。私は初めてアメリカ合衆国を見て、その国土の広さに驚かされたが、「アメリカ人に負けないぞ」という気負いはなかった。むしろ人々の質素な暮らしとお人好しな人柄に心動かされた。アメリカの田舎はまるで時間が止まっているかのようにゆったりとしていた。
コメント
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