友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

根性ヘチマ

2011年09月11日 21時33分13秒 | Weblog
 先日の台風12号の強い風に煽られて、ヘチマは枯れてしまったのかと思うほど、葉も茎も黒く縮れてしまった。このヘチマは昨年、小学校の男の子が「学校で育てたものから種を採った。あげる」と言って持ってきてくれた。鉢植えだが、どこまで伸びるだろうかと竹ざおを添えておいた。南西の角だったから一番風当たりが強かった。枯れてしまったかと思っていたヘチマに黄色い花が咲いた。アスファルトの隙間で育った根性大根や阪神淡路大震災を生き延びたヒマワリ、植物は意外なほど根性が座っている。しかし、残念なことにヘチマは花を咲かせるけれど実を結ばない。

 午後6時過ぎ、ルーフバルコニーでヘチマに水を遣っていると、隣りの小学校の運動場で女の先生がふたり、黙々とライン引きをしていた。辺りはもう薄暗くなって来ている。明日の運動会の練習のために備えているのだろうが、男の先生はいないのだろうか。そういえば、いつだったか運動会の練習をしていた学年があったが、先導しているのは女の先生で、お腹の出た中年の男の先生は終始ただ立っているだけだった。女の先生が多くなり、リードするのも女の先生に役割が回ってきたのかも知れないが、その様子を眺めていると本当に男の先生は頼りなく見えてくる。傷ついても花を咲かせるヘチマのような根性が男になくなってきたのだろうか。

 私もこのところ突然に立ちくらみなのか、気が遠くなると感じる時がある。ノド元を締め付けられたようになって、息が出来なくなる。それはほんの一瞬の出来事ですぐに元に戻るのだが、ヤレヤレ私もそろそろ終末なのかなと思う。私自身はそれを恐れる気は全くない。充分に勝手気ままに生きて来たので、自分の人生に満足している。願わくば、事前にサッカーの試合のように残り時間を教えて欲しい。まだ身の回りの整理が出来ていないので、このままではちょっと恥ずかしい。そんなことを思っていたら、胸のむかつきというか締め付けはその前兆なのかと思った。神様が私にそれとなく教えてくれているのかも知れない。

 突然、長女から電話が入り、長女のダンナが「井戸掘りは危険だから止めた方がいいのだが、自分がそれを言っては感情にズレが出来るので、娘の私が言った方が角が立たないと言うが、私はどういうことなのかよくわからないけれど、とにかく真剣に心配しているよ」と伝えて来た。私たちもその危険性は感じている。友だちも「命綱をつけているのか?」と心配していた。平均年齢が70歳を越えている井戸掘りメンバーである。もし、万が一の事態が起きても素早く対応できないだろう。それは死に至る事態かも知れない。無理は絶対禁物だと考えているけれど、どんなに慎重に作業していても、不慮の事故はいつ起きるかも知れない。長女のダンナの忠告も神様のお告げかも知れない。

 枯れかけたヘチマのように最後の踏ん張りを見せたい、年寄りの意地を発揮したい、そんな気持ちが私たちの中に無いとは言えないが、無理してまで花を咲かせるほどの根性は持ち合わせていないと思う。それは年寄りの智恵で、無理しても無理しなくても、結果にそれほどの違いは無いと知っている。出来る限りのことはするけれど、出来ないことまではしないし、そんなエネルギーはもう残っていない。さて、明日の井戸掘り、頑張ろう!
コメント
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