朝方、水遣りのためにルーフバルコニーに出たところ、寒くて思わず長袖シャツを羽織った。30分ほど外にいたけれど、身体は芯から冷え切った。空は高く、青く澄んでいた。セスナ機が青い空を旋回している。秋らしい空気になった。今日は秋分の日だ。「暑さ寒さも彼岸まで」というけれど、それを実感する。今年も残り3ヶ月しかない。歳を取ると時間の流れを早く感じるようになるというが、その通りだと思うようになってきた。
今日は夏祭りの慰労会の日で、夕方から近くのスーパー銭湯へ出かける。子どもたちも含めて30人ほどになる。お風呂に入り、その後は会食で、ご馳走をいただきお酒を飲みカラオケに興じる。汗を流して働いた2日間の成果をこの6時間でパッと使ってしまう。逆に言えば、この日を楽しみに汗を流してきたとも言える。それでも毎年、平均年齢は高くなるばかりだから、この先どこまで続けられるのかと思う時がある。「その時は、その時」と言う人が多いからこそ続いているのかも知れない。
アユ釣りはともかくアユ焼きは名人と私が勝手に思っている男も来るし、大学院生になった子もワザワザ京都から帰ってくる。また、アユ焼き名人の「恋愛話」を聞くことになるのだろう。それはそれでいい。彼は彼なりに真剣なのだが、「彼なり」というところが人と少しずれているだけのことだ。秋にはこの仲間でバス旅行へ出かけることにもなっているけれど、さて今年はどこへ行くのだろう。
午前10時半には長女が2歳の孫娘を預かって欲しいと連れてくると言う。お茶目な孫娘はまた飾り棚の中の10センチほどのピエロがブランコに乗っている人形を持って来ては揺らし、そのうちにピエロをどかして、「かーわって」と言い出すだろう。ピエロが乗っていた小さなブランコに自分のお尻を置こうとするのだから驚いた。順番を守ること、お願いの言葉をかけること、そうした基本的なことを保育園でしっかり教えられていることがよくわかる。
保育園はまだ、看護師をしている長女の病院内の保育園に通っている。2年目の今では、園児は10人近くなったそうだけれど、最初から預けられているので、先輩として後輩の面倒をみているようだ。保母を後輩に取られてしまっても駄々をこねることもなく我慢しているらしい。それがいつも一番最後まで居残ることになるので、みんなが帰ってしまうと途端に保母に甘えるようになるとも聞いた。家では相当なわがままらしいけれど、我が家ではそんな素振りは見せない。大人の世界で育った子どもによくある傾向をちゃんと備えている。
私は急に友だちに呼び出され、この後出かけなくてはならない。2歳の孫娘のお茶目ぶりに付き合うことが出来ないのが残念だ。赤ん坊は赤ん坊なりに、子どもは子どもなりに、そして大人も大人なりに、それぞれ悩みや苦労を抱えて生きているのだろうけれど、大人になるとその悩みや苦労を盛んに口に出すのは、人はやはり理解されたいという思いが強いからだろう。話すことで和らぐのであれば、もっともっと話せばいい。聞くこともまた話すことと同じくらい和らぐものだと思う。
今日は夏祭りの慰労会の日で、夕方から近くのスーパー銭湯へ出かける。子どもたちも含めて30人ほどになる。お風呂に入り、その後は会食で、ご馳走をいただきお酒を飲みカラオケに興じる。汗を流して働いた2日間の成果をこの6時間でパッと使ってしまう。逆に言えば、この日を楽しみに汗を流してきたとも言える。それでも毎年、平均年齢は高くなるばかりだから、この先どこまで続けられるのかと思う時がある。「その時は、その時」と言う人が多いからこそ続いているのかも知れない。
アユ釣りはともかくアユ焼きは名人と私が勝手に思っている男も来るし、大学院生になった子もワザワザ京都から帰ってくる。また、アユ焼き名人の「恋愛話」を聞くことになるのだろう。それはそれでいい。彼は彼なりに真剣なのだが、「彼なり」というところが人と少しずれているだけのことだ。秋にはこの仲間でバス旅行へ出かけることにもなっているけれど、さて今年はどこへ行くのだろう。
午前10時半には長女が2歳の孫娘を預かって欲しいと連れてくると言う。お茶目な孫娘はまた飾り棚の中の10センチほどのピエロがブランコに乗っている人形を持って来ては揺らし、そのうちにピエロをどかして、「かーわって」と言い出すだろう。ピエロが乗っていた小さなブランコに自分のお尻を置こうとするのだから驚いた。順番を守ること、お願いの言葉をかけること、そうした基本的なことを保育園でしっかり教えられていることがよくわかる。
保育園はまだ、看護師をしている長女の病院内の保育園に通っている。2年目の今では、園児は10人近くなったそうだけれど、最初から預けられているので、先輩として後輩の面倒をみているようだ。保母を後輩に取られてしまっても駄々をこねることもなく我慢しているらしい。それがいつも一番最後まで居残ることになるので、みんなが帰ってしまうと途端に保母に甘えるようになるとも聞いた。家では相当なわがままらしいけれど、我が家ではそんな素振りは見せない。大人の世界で育った子どもによくある傾向をちゃんと備えている。
私は急に友だちに呼び出され、この後出かけなくてはならない。2歳の孫娘のお茶目ぶりに付き合うことが出来ないのが残念だ。赤ん坊は赤ん坊なりに、子どもは子どもなりに、そして大人も大人なりに、それぞれ悩みや苦労を抱えて生きているのだろうけれど、大人になるとその悩みや苦労を盛んに口に出すのは、人はやはり理解されたいという思いが強いからだろう。話すことで和らぐのであれば、もっともっと話せばいい。聞くこともまた話すことと同じくらい和らぐものだと思う。