「母の日」ということもあって、保険屋さんに会うために我が家へやって来た長女はケーキを2つ持ってきた。次女も「ママ大好き」というメールをくれたようだ。母親というのは子どもにとっては絶大な存在で、それはいつまでも変わらないし、また変わってもらっては困る。幼い時にオッパイを飲んだその胸のぬくもりが永遠に「温かさ」としてインプットされているのだろう。
男が自分の母親につっけんどんな言い方をするのも、甘えたい気持ちの裏腹な行為なのではないかと思う。素直に甘えられない男の意地なのかも知れない。男は意地っ張りなくせに甘えん坊だから、優しく撫で撫でして欲しいのだろう。幼児が大声で泣き叫んでいる時、母親は何を求めているのか分かるのか、あるいは分からなくてもなのか、ぎゅっと抱きしめる。そうすればおおよその幼児は安心するのか落ち着いてくる。母親は偉大な力を持っている。
先日の夜、急に友だちに呼ばれて彼の家に行った。既に来客がいて、「せっかくだから呼ぼう」ということになったらしい。旬の野菜を肴に酒盛りである。来客と友だちは畑友だちで、その畑で育てた野菜だから、新鮮なものが持つ甘さがある。にわか農夫の自慢話を聞きながら、私は時々相槌を打って酒をいただく。すると、しばらく後に部屋の外で、この家のひ孫が泣き喚く大きな声がした。「じいちゃんのところへ行く」と言うのを止められて怒っているのだ。
宴会が終わって帰ろうとした時、そのひ孫がまだ起きていた。私はその子の名前を呼んで、「おじさんがハグしてあげる」と手を広げると、彼は大喜びで飛んできた。しっかり抱き合って「じゃあ、おやすみなさい」と分かれたが、とても嬉しそうな顔をしていた。その翌日、別の友だちの家に用事があって出かけた。その家には座敷で飼われている小型の犬がいる。玄関を入るとその犬が尻尾を激しく振って飛びついてきた。
それを見ていたカミさんは「子どもとお年寄りにはモテルけど、犬にもモテルのね」と言う。その通り。私は小さい時から、お年寄りには可愛がられた。大きくなって、お年寄りだけでなく小さな子どもにも犬にも好かれた。インコを飼っていた時も、インコは私の頭や肩に止まり私の耳たぶを噛んだりした。動物は自分に危害を加えない相手なら安心する。餌をくれる相手なら甘える仕草もする。子どもは動物と同じだろう。お年寄りにモテルのは、相手の話を聞くからだろう。
我が家のルーフバルコニーのバラが咲き始めた。「母の日」とバラ、相性がいいようだ。
「母の日に 育てとバラに 肥料やり 今日見事に 大輪となる」