友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

いつか、そんな機会は来るだろう

2024年10月26日 18時40分17秒 | Weblog

 今日は朝から長女と中3の娘が来て、ガラ系のケイタイにあるデーターを、手作業でスマホに移してくれた。面倒な作業を、むしろ楽しむようにやってくれたので、感謝以外に言葉がない。

 中3の孫娘は作業しながらも、母親である長女から「宿題は出来ているの?」とか、注意されている。「あなたが助っ人で連れて来たのに」と、言いたかったが、長女は母親としての権威と心配から発しているのだからと、口を閉じた。

 子どもに「勉強しなさい」と言っても、誰も勉強しないだろう。勉強の意義と目的が、自分の中で納得出来なければ無理だ。私は娘たちが子どもの頃、「勉強しなさい」と怒ったことは無いと思うが、もう忘れてしまった。

 私自身は親から「勉強しなさい」と言われたことは無かった。好きなようにさせてくれていた。高校1年で母を、3年の時には父を見送ったので、私は親の重さを感じることが無くなってしまった。

 中3の孫娘が、「文化祭が終わったら、本気で勉強する。しないと高校へ行けないから」と真面目な顔で言う。勉強の目的はハッキリしているが、切羽詰まっていないから、親の言葉がうるさく感じてしまうのだろう。

 「出来たよ」と、長女がスマホを渡してくれた。水曜日にデート出来なかったから、ちょっと遅くなったが、県美術館で開催されている「二科展」を観に行くことにする。会場の入り口で、高校教員の時に友だちになった堀尾一郎さんに会った。

 「元気?」という挨拶から、いろいろ話が広がった。「重鎮がいなくなって、今やトップ」と彼が笑う。美術の教員は何人もいたが、活躍出来ているのは彼くらいしかいない。彼をガラス絵に導いてくれたのが、北川民次さんと知った。

 美術館に入ったのが遅かった上に、いろいろ観て回ったから、帰りに喫茶店でコーヒーとデザートの余裕は無くなってしまった。また、いつか、そんな機会は来るだろうと諦めた。


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