中学の時の友だちが、同級生の消息を知らないかと聞いてくる。その同級生は喉頭ガンで話が出来なかったが、クラス会に参加してくれた。一生懸命に話すけれど、何を言っているのか分からない。見ていて私は気の毒になってしまった。
なのに、「どうしているのか、知らなくて友だちか。彼のところへ行って、聞いて来いよ」と言う。出かけて行くのも、電話かけるのも、その気になれなくて、結局、彼のカミさん宛てに手紙を書くことにした。書きながら、自分勝手だなと思った。
友だちの様子を知って、どうしようというのだろう。見舞いに行くにしても、彼が受け入れるとは思えない。どんなに親しかった間柄であっても、むしろ間柄だったこそ、惨めさをさらけ出したくは無い。私が彼なら、放っておいてくれと言いたい。
みんな高齢になった。それでもまだ、「最後の恋」しかも不倫の恋を続けている人もいるし、「最後の恋」ばかりか、常に恋しているのに、一向に実らない恋を追いかけている人もいる。不倫が悪いと私は思わない、むしろその情熱が羨ましい。
先日も高齢の男性たちが喫茶店で、女子バレボールの話をしていた。アタックが凄いとか、レシーブが巧いとかの話だったのに、「コガちゃんのヘソはキレイだ」と話が変わっていた。女子ゴルフのプレイヤーは「ミニスカートしかダメと決めたらいい」とか、話題がどんどん下へと移って行った。
「まあーよー、役に立たんで、見るばっかりだでぃ」「野球見てても観客席を歩く、売り子の女の子の脚ばかり見ている」「週刊誌も見るのはヌード写真だけ」。高齢の男性たちの会話は、悲哀が滲み出ていた。
先日、NHKテレビでAIによるSEXが取り上げられていた。近未来はAIによるSEXが一般化していくのだろうか。何とも味気ない人間社会になってきたものだ。中学の友だちと、西浦温泉へ実写映画を観に行った青春時代を思い出す。
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