友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

欲望から卒業することは出来ない

2024年06月24日 17時31分49秒 | Weblog

 処罰すれば、その犯罪は無くなるのだろうか。塾の先生が、学校の教師が、医師が、盗撮したとか、セクハラしたとか、身体に触れたとか、ニュースになっている。大学2年の教育実習は、付属小学校だった。名門校と言われ、いいところの子が多かった。

 配属されたのは6年で、中にとても大人びたキレイな女の子がいた。放課になると近づいて来て、媚びを売るように身体を寄せて来る。あの時、私がその気になっていたら、きっと教師にはなれなかっただろう。

 何年か前、放課後学習の手伝いを頼まれて、子どもたちの面倒を見たことがある。その時、上司に当たる先生は、若い独身の男性だった。彼は女の子を膝に抱き、宿題をやらせたり、勉強を教えていたりした。これはマズイのではと思ったが、直接言えなくて、彼の上の人に話した。

 彼はゆくゆくは教師になりたいと言っていたから、まだ、教師としてのレクチャーを受けていなかったのかも知れない。私もよく頑張った子の頭をなでてやることはあるし、肩を抱くこともある。しかし、どんなに自分が善意で行ったとしても、相手が嫌ならアウトになってしまう。

 特に今は厳しい。「こども性暴力防止法」が成立し、子どもと接する仕事に就く人の性犯罪歴の確認が、学校や保育園などに義務付けられた。たとえ、善意からの行為であっても犯罪と認定された者は、学校や保育園では働かせてもらえない。教職を退いた人が、自分で塾を立ち上げた場合でも、保護者が問題にすれば辞めざるを得なくなる。冤罪をデッチ上げられる可能性もある。

 これって、本当に良い制度なのだろうか。確かに、子どもと二人っきりにしないことは犯罪抑止になるだろうが、その前に、教師になる人のレクチャーが必要なのではないか。女の子でも男の子でも、可愛い子に目が行ってしまうのが人だろう。そんな時、どうすればよいのか,学ぶ必要がある。

 80歳になった今でも、女性への関心は無くならない。そんな欲望から卒業することは出来ないのだろうか。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 指導者はいつも、己のことし... | トップ | 実写映画を観に行った青春時代 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事