友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

通知表

2008年12月24日 08時16分01秒 | Weblog
 通知表をもらってきた中学2年の孫娘は浮かぬ顔をしていた。自分が期待していた成績とは違っていたからだ。自分ではもう一つ4から5へと上がることを想定していたのに、変化がなかったことが悔しいのだろう。試験と水泳大会とが重なり、充分な準備ができなかったのであろうし、それにもまして彼女の心を悩ます問題を抱え、勉強どころではなかったのかもしれない。

 4歳から水泳教室に入れられ、「努力をすれば結果がついてくる」と教えられただけでなく、自らの体験でこれが身に染み付いている孫娘は、私や私の長女である母親と違って、本当に努力の人である。私にはとても真似ができない。この冬休みも、午前7時30分からの早朝練習、午後5時30分からの夕方練習があり、今日からは朝7時30分から午後3時30分まで、ぶっ通しの練習が組まれている。私なら逃げ出したくなるスケジュールだが、「やらなきゃー記録は伸びない」と励んでいる。

 通知表も5と4しかないのだから、そんなに落胆することはないと思うのだが、水泳ではいつも自分の獲得目標を定めて練習をしているので、学習でもきっと目標の数値があったのだろう。「まあ、そこそこにいってるんだからいいじゃないの」と言ってみても本人は納得できないのだ。それでもカミさんが通知表を見て、「先生は本当にあなたのよいところをきちんと見てくれているわね」と言いながら涙を流した時は、祖母の評価に戸惑いながらも嬉しそうでもあった。

 通知表の総合所見は「常に目標をもって学習に取り組んでいます。自分に厳しく、テストの後には必ずしっかりと反省し、次に生かそうとしています。野外学習の班決めでは、級友のいろいろな思いを考慮して班を考えてくれました。努力が実り、誰もが充実した3日間を過ごすことができました」。「体育大会の800m走では、日頃の練習の成果を充分に発揮し、見事1位に輝きました。学級対抗リレーでの走りも素晴らしく、クラスの優勝に貢献しました。また、合唱コンクールでは伴奏者としてクラスの絆を深めるために力を尽くしました。学習面では、どの教科にもよく努力し、成績も安定しています」とあった。

 カミさんは同じ教師として、「こんな風に、子どものよいところを見つけてくださる先生はすごいわね」と言う。子どものよいところを見つけて引き出すことが教育の本質だから、孫娘の担任はできた先生なのだろう。ほめられたこと、あるいは評価されたこと、認められたことは一生忘れないものなのだ。

 「ほめて育てよ」。これは確か、松下村塾を創設した吉田松陰の基本姿勢だった。明治新政府は、薩摩と長州の連合であったけれど、西郷・大久保が去ってしまうと薩摩には人材がいなくなってしまったが、松下村塾からは多くの人が政府の要人となって活躍した。

 さて、私の通知表にはどんなことが書いてあったのだろう。小学校の5年生までは、「積極性が欲しい」とばかり書かれていたことは覚えているが、先生がどんな風に私を評価してくれていたのだろうかと気になった。同級生はどんな風に私を見ていてくれたのだろうか。
コメント
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